酸欠でまだ頭がぽおっとなったまま、だがリュウはそれに気付いて顔を上げた。
「……ボッシュ? 傷が……」
 ボッシュの背中には大きな傷痕が一本、縦にはしっていた。
 レンジャー時代ならまだしも、彼の裸の背中なんて見る機会はなかったから気が付かなかったのだが、リュウはそれにじいっと見入ってしまった。
 ボッシュは、どうでも良さそうに頷いた。
「ああ、そりゃあ、まあ。あの後、チェトレがテキトーにくっつけただけだから」
「……ごめん」
「謝るな。オマエが俺を憐れむなんて1000年早いよ」
 恐る恐るボッシュの背中に触れて、リュウはその未だに痛々しい傷痕を舐めた。
 きっとこれが消えることはないだろう。
 綺麗な身体なのに、ひどい傷だ。
「ごめん、ごめんね……痛い?」
「たまに」
 それ、おまえのせいなんだけど、とボッシュは言った。
「オマエが俺の近くに来るとさあ、ちりちりするんだよ。たぶん、あのバカ兄弟が共鳴してるんだ」
「おれ、が……?」
 リュウは緩く頭を振った。
 それには、相変わらずそっけない肯定が返ってきた。
 どうでもいいんだけど、というふうな、いつものボッシュのスタイルだ。
「多分、オマエを殺すまでずうっと痛むな」
「……いつ殺すの?」
「さあ?」
「今は、まだ? まだ、殺してくれない?」
 リュウはせっついた。
 だが、ボッシュは顔を顰めただけだった。
「くどい、まだだ。もっとずっとひどい目に遭わせてやる。あと1000年だ、言っただろ?」
 ぎゅっと目を瞑り、リュウはボッシュの背中を抱き締めた。
 振り払われることはなかった。
「痛い? ボッシュ……」
 なんで早く殺してくれないんだろう、とリュウは思った。
 そうすれば、ここにいるだけでボッシュを痛め付けることもない。
 そばにいるだけで、彼を憎しみに引き摺らせることもない。
 これから1000年、ボッシュは痛いのだろうか。
 人を憎んで過ごすのだろうか。
「おれがいると、痛い?」
 なんで生き返ったりなんかしたんだろう、そうリュウは思った。
 どうしてチェトレは、ボッシュのドラゴンは、リュウを死んだままにさせてくれなかったのだろう?
 こんなにボッシュが憎悪しか持たないリュウを、呼び戻したのだろうか。
 チェトレはアジーンを呼んでいたが、ボッシュはリュウを呼んでやしなかった。
 本当は、少しばかり期待していた。
 ボッシュが、もしかしたらリュウを呼んで、待っていてくれたんじゃないか――――必要として、呼び戻してくれたんじゃないだろうか。
 それは憎しみなんてものだけじゃないんじゃないだろうか。
 ボッシュは、もしかしたらリュウを愛してくれていたんじゃないだろうか。
 そんなふうなことだ。
 だがボッシュは、いつもの馬鹿にして、蔑んで、軽蔑した目でリュウを責め続けた。
「痛いよ、リュウ。俺が負けず嫌いなほうなの、知ってるだろ? 痛め付けられると、ちゃんと痛め返してやりたくなるんだよ」
 彼はそんなことを言うのだった。
 本当に、どうして生き返ったりなんかしたんだろう。
 こんなでも、リュウは幸せだった。
 こうして痛みを植え付けられて、ひどくされてばかりで、それでもボッシュのそばにいられるのだ。
 それは幸せなことのはずだった。
 リュウはそう思い込もうとしていた。
 だが存在するだけで、リュウはまだボッシュに痛みを与えている。
 本当に、どうしようもない。
(本当は、こんな身体……)
 目が覚めた時に、アジーンだけのものになってしまえば良かった。
 リュウは遠くから見ているだけで良かった。
 チェトレはきっとアジーンに手を引いて歩いてもらうことを選んだのだ。
 それをリュウは知っていた。
 でもリュウが戻ってきても、ボッシュに与えることができたものと言えば、痛みと憎しみだけだった。
 気まぐれに、ボッシュはリュウの手を繋いだ。
 そして振り払った。
 リュウはそうされることが悲しかった。
 彼は、それを良く知っているようだった。
 どうすればリュウが絶望するのかを知り尽くして、ひとつひとつ実験していた。
 リュウは、愛されることも、優しさも、そんなものがあるはずはないのに、彼に求め続けることが情けなかった。
「まさか、抵抗なんてしないよな?」
 ボッシュがリュウの脚を広げて、薄く笑った。
 そこには酷薄な冷たさ、残酷があった。
 優しさなんてどこにもなかった。
「うん、しない……」
 リュウは頷いた。
 だから、身体だけだ。
 貰えるものならなんだっていい。
 リュウはボッシュが好きだ。
 ずうっと背中ばかり追い掛けていた。
 彼の背中に守られていた。
 手を引いて欲しかった。
 手を繋いで、離さないで欲しかった。
 かなうなら優しくして、愛してもらいたかった。
 だが優しくない世界で、ボッシュはリュウを苛み、傷付け、緩慢な死を与え続けていた。
 決定的な終わりをずっと先延ばしにした、そんな残酷な殺し方を続けていた。
 そんな中で、リュウは精一杯笑っていることしかできなかった。
 無理に顔を歪めて、笑った。そうしなければ泣き出してしまいそうだった。
 今一度つまずけば、もう立ち上がることもできないだろうと思った。
 ずっと座り込んで泣き続けるだろう。
 ボッシュはうるさそうに、不機嫌に顔を顰めるだろう。
 また置いて、歩いていってしまうだろう。
 だからリュウは微笑んだ。
 ぎこちなく顔を歪めて笑って、ボッシュの言葉を肯定し、受け入れ、身体を差し出した。
 全部、捧げた。
「ボッシュの、すきに、して……」
 そうすると、ボッシュは少しだけ機嫌が良さそうに笑ってくれるのだった。
 そんな一瞬の幸福だけが、今リュウを生かしているのだった。
 リュウは、ボッシュが好きだ。
 たとえ、どんなに先の未来までも愛されることがなくても。
「いい子だ」
 身体に引っ掛かっていたコートを、アンダーごと脱がされた。
 勿体ぶるようなボッシュの腕が、リュウの全身を辿った。
 どうしてかこんな時ばかりは、ボッシュはまるで本当にリュウのことを愛しているように触ってくれるのだった。
 ずっと昔から愛していた者に触るように、大事に、壊さないように、それが彼の気まぐれだと知ってはいても、リュウは一瞬だけその感触を、優しさを、信じてしまうのだった。
 今だけだ、こんなこと、と思い込もうとした。
 抱き人形みたいなもので、ボッシュはリュウの身体を使って、そうしてもしかしたら想像の中でだけ他に誰かを抱いているのかもしれない。
 それはちゃんとした女の人なのかもしれない。
 彼はリュウを憎み、そしてリュウが知らない誰かを愛しているのかもしれない。
 そうでなければ、どうしてこんなにゆっくりと、リュウの身体全部を慈しむように触れるのだろう。
 これもただの気まぐれの結果というものなのだろうか?
 リュウには何もわからなかった。
 前みたいに痛め付けてひどくしてくれれば、こんなに切ない気持ちになることもないのに、ボッシュはとても残酷だ。
「……あ」
 びくっ、とリュウは震えた。
 ボッシュはリュウの膝を折り、大きく脚を開かせて、脚の付け根、奥まったところに舌を這わせ、ゆっくりと舐めた。
「だ、駄目……駄目だよ、ボッシュ……」
 リュウは顔を泣きそうに歪めて、駄目だよ、と繰り返した。
「駄目……や、やめて、ボッシュがそんなの、することないよ」
 ボッシュはリュウの言うことなど聞いてすらいないようで、返事もしなかった。
 唾液と、濡れ始めたそこから溢れだした滴が混じって、ぴちゃぴちゃと音を立てた。
 ふるふると頭を振りながら、駄目、と繰り返して、それでも彼にそんなところを舐められて、リュウがどうにかならない訳がなかった。
 切なさともどかしさが入り混じった感触がじんと広がって、リュウは震えながら声を漏らした。
「……あ、あっ、いや、ボッシュ、だ、めっ、――――やあぁ……」
 くしゅ、と顔を歪めて、リュウはほとんど半分泣き出してしまっていた。
 ボッシュの頭をきゅっと抱いて、呼吸を激しくして喘いだ。
 恍惚が背筋を駆け上って、頭のてっぺんまで届いた。
「あぁあっ、ボッシュ……っ、やだ、やだぁ……!」
 息が、うまくできない。
 気持ち良くて、ぞくぞくして、どきどきして、苦しい。
 ボッシュが好きで、そうされていることが嬉しい。
 でも、恥ずかしい。
 リュウの身体は、彼がそういうふうに触るべきものじゃない。
「あ、あっ、は……っ、ん……」
 男の身体とは、感じ方が大分変わってしまっていた。
 下腹の奥の方で、きゅうっと切なくなる感じ。
 女の子って気持ち良くなるとこういうふうになっちゃうんだ、と、リュウは頭の中の、ぼんやり真っ白になってしまったところで考えていた。
 簡単に、篭った熱を吐き出して終わりなんて上手いふうにいかなくて、もどかしい感じがずうっと続いている。
 ずうっと苦しい。
 その「苦しい」がどんどん熱さを孕んで、頭の方まで押し寄せてくるのだ。
「いや……ボッ、シュうっ、へんに、なっちゃ……おれっ、どうしよう……?!」
 困惑しながら、リュウはボッシュの綺麗な金髪をきゅっと握り締めた。
 相変わらず、ボッシュは狼狽するリュウになにも応えてはくれなかった。
 だが、
――――あ……」
 今度はベッドの上で、混乱しているうちにボッシュに引き倒されるようにして、組み敷かれ、下敷きにされていた。
 脚は大きく開かされたままで、ボッシュがリュウの腰を抱えて、その腰を撫でる手のひらの感触に、リュウはぴくっと震えた。
 ふらふらしたまま目を上げると、ボッシュは相変わらず面白くなさそうな仏頂面だった。
(……やっぱり、おれの身体なんて、触っても面白くないんだ……)
 リュウはふとそんなことを思って寂しくなったが、そんな余裕はすぐに掻き消えた。
 胸が壊れそうなくらい、どきどき鳴っている。
 喉がからからに乾く。
 リュウはあまりの緊張で、震えていた。
 恐怖すら感じていたかもしれない。
 これからどうなるか、もうリュウは知っていた。
 畏れと共に、待ち望んですらいた。
 つう、と腰を押し付けられて、リュウはこくっと喉を鳴らした。
「ボ、ボッシュ……」
 濡れて、熱くて、硬くなった感触が、太腿に触れた。
(ボッシュ、が、おれに……)
 その先を考えるだけで、リュウはあまりにも緊張して、ふっと気が遠くなってしまいそうになった。
――――リュウ、ちゃんと脚開いてろよ」
 ちょっと掠れた声で、ボッシュが命令した。
 リュウはこくっと頷いて、言われる通りにした。
 ゆっくり、ゆっくりと、それはまず押し付けられた。
 股の間に熱くなった先端が触れ、ぐにゅ、と擦れた。
 頭の中はすでに真っ白で、それでいていろんなことでごちゃごちゃだった。
 リュウはあんまりの緊張で目を回しそうになりながら、全身を強張らせていた。
 ちっ、と忌々しいふうに舌打ちされて、リュウはびくっと震えた。
 何かまずいことでもやらかしただろうか、とおどおどとボッシュを見上げたが、彼は別になんでもないよ、と不機嫌そうにぼそぼそ言った。
「それより、力抜いてなよ。入らねーだろ」
 リュウはこくっと頷いたが、どうすれば良いのか分からない。
 まあいいけど、とボッシュは諦めたように言って、それから急にリュウの中に入ってきた。
 力任せに、奥まで。
――――っ! わぁっ、ああぁあ……!!」
 十分に濡れてはいたけれど、それはあんまりにも痛くて、リュウは悲鳴を上げた。
 ボッシュはお構いなしに突っ込んでくれた。
 破れる感触と、それから身体の中にとろとろした熱いものが流れる感覚があった。
 また前みたいに、中が傷ついてしまったのだろうか。血が出たのかもしれない。
 ボッシュはやっぱり乱暴で、さっきまでの優しいって言ってもいい触り方とは打って変わって、リュウの身体が軋むのも構わずに、一番深いところまで抉った。
「あああっ、痛い、いたい、ボッシュぅ……っ!」
 リュウは今度こそ泣き出してしまいながら、ぎゅっとボッシュにしがみ付いた。
 ボッシュはリュウに頓着することなく、奥まで届くと、動いた。
「いっ、いたいよぉ、うっ、うっ……、ボッ、しゅう……」
 リュウはぐすぐすとしゃくりあげて泣いた。
 ボッシュが気を向けてくれることはなく、優しくしてくれることもないのは知っていたが、それでも止まらなかった。
 リュウは泣きながら、ボッシュに抱かれた。
「リュウ……」
 そうしていると、信じられないことに、ボッシュはリュウの名前を呼んで、目尻を、頬を流れる涙を舐めて、拭ってくれた。
 その仕草はひどくリュウの胸に、深く、ある種の衝動を突き刺した。
 涙が後から後から、零れてきた。
「な、んで……」
 リュウは顔を覆って、静かに泣き出した。
 元から呼吸がままならないせいで、ひどく苦しかった。
「なんで……やさしく、するのぉ……?」
 涙が喉に詰まって、咳込みながら、リュウはボッシュに訊いた。
 ボッシュはとても残酷だった。
 道具として使うだけじゃなかったのだろうか。
 憎んで、ひどくしてくれるんじゃなかったのだろうか。
 ボッシュに優しくなんてされたら、リュウは泣いてしまうことしかできない。
 それが気まぐれであっても、期待してすぐに絶望させられ、泣かされることは解りきっているのに、信じてしまいたかった。
 ボッシュはリュウに優しく触り、僅かな望みを生まれさせた。
 そしていつも、すぐに残酷に突き放すのだ。
 手を離すのだった。
 いろんな感情が破裂して、気がおかしくなってしまいそうだった。
 ボッシュという人のことを想うだけで、視線のなかに存在するだけで、見てもらえるだけで、触られて、中に浸蝕されて、今にも。
「おれの……ことなんか、好きに、なってくれないのに……なんで、こんなふうに、さわるの、ボッシュ……」
 泣きながらリュウはボッシュにしがみついた。
 繋がって、痛かった。
 血の匂いが微かに香った。
 でも、それよりもずっと痛いものがあった。
「てを、つないで……すぐにはなしちゃうのに、どうして、つないでくれるの?」
 それは泣き声になっていた。
 リュウはぎゅうっと唇を引き結んで、その衝動が去ってくれるのを必死で待っていた。
 だが、上手くはいかなかった。
 顔をぐしゃぐしゃに汚して、リュウはボッシュに懇願した。
 もう死んでしまいたいくらい、何もかもがひどく痛かった。
「いたい、やだ、はやくころして、ボッシュ……」
 おれにやさしくして、とリュウは懇願した。
 もう痛いなんて感じないように、優しく終わらせて、眠らせて欲しかった。
 だが、ボッシュはいつものように、リュウの望みを聞き入れてくれることはなかった。
 彼はリュウの腰を掴んだまま、また乱暴に動きはじめた。
 呼吸と一緒に漏れるリュウの悲鳴を聞いて、そうして彼はうっすらと笑いを浮かべながら、掠れた声で言うのだった。
「……殺してやらないよ」
 それは、リュウにまた絶望を植え付けてくれた。













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