はっとして、リュウは目を開いた。
「……あ……っ?」
 窓から射し込む光は少し明るかったが、曖昧な薄暗さがあって、まだ朝になってはいなかった。
 これは全部夢なのかなあ、とリュウは覚醒しきっていない頭で考えた。
 ボッシュに触って貰えた。
 彼が中に入ってきて、まだ濡れた感触が身体の奥のほうにあった。
――――ボッシュ……)
 リュウは、ボッシュの腕に拘束されていた。
 抱き締められていた。
 少しばかりきつくて苦しかったけれど、まるでちゃんと好きな人にそうするみたいに、ぎゅっと強く抱かれていた。
 ボッシュはまだ眠っているようだった。
 リュウが身じろいでも、反応らしい反応もなかった。
 リュウはおずおずと、少し申し訳なく思いながらもボッシュの背中に手を回して、彼と抱き合って、目を伏せた。
 ボッシュはひどくしてばっかりだったが、それでもリュウに触ってくれた。
 途中から全然何も覚えていないのだけど、おれ変なこと言わなかったかな、とリュウはちょっと不安になった。
 もう少し眠ろう。
 されるのは痛いことばかりだったが、リュウはボッシュに触れているととても安堵するのだった。
 今こうしていられるのも、いつまで続くか分からない。
 次に触ってもらえることがあるかなんてことは分からない。
(あ……なんだかすごく、幸せだ……)
 ふとそんなことを思って、リュウはふにゃっと笑った。
 少し顔を上げればボッシュの寝顔があった。
 貴重だ。
 彼は絶対に普段人前に寝顔なんて晒さないし、そんなふうに油断することがなかった。
 だが今はリュウがほんのちょっと目を上げただけで、その整った穏やかな寝顔とか、長い睫毛とか、そんなものがすぐに目の前にあった。
(綺麗だなあ)
 きゅっとボッシュに抱き付いて、リュウはそんなことを今更思った。
 いつも面倒そうに纏められている髪は解けていた。
 さらさらした綺麗な金髪だ。
(……こんな綺麗な人が、なんでおれみたいなのに触ってくれるんだろ)
 ほんとに変なことだな、とリュウは思った。
 ボッシュはリュウを憎んでいて、でも抱いたり、キスしたりする。
 道具みたいに使うなんて言う。
 でも気まぐれに優しくする。
 ボッシュはひどい人だ。
 リュウはそう思って、うっすら安心した笑みを浮かべた。
(……もっと、ひどくして……)
 そうすることで、リュウはボッシュに鮮やかな痛みを与えてもらえる。
 愛されることはもう随分前に諦めた。
 ボッシュが、彼がレンジャー時代から、初めて遭った時からずっとリュウを蔑んでいたことは知っている。
 まるでとても忌々しいありえないものを見るような目で、ボッシュはいつもリュウを見た。
 ずうっと、見ていた。
 なんでこんなのが相棒なんだ、そう言いたげな目で。
 その上加えてあれだけひどいことばかりしたリュウを、好きになってくれるなんてあるわけがない。
 かわりに与えられるものがあるなら、何でもいい。
 それが絶望でも痛みでも、何でも構わない。
 そばにいられるのなら何だって構わない。
 痛み――――太腿を濡らす血液とか、中で乱暴に動かれてできた傷とか、それよりも比べ物にならないくらいに痛い、胸を突き刺された感じだとかだ。
 ボッシュはリュウを使ってくれただけだ。
 こんなふうに期待してしまって、なんておれは馬鹿なんだろう、とリュウは自覚した。
 だがボッシュにとってどうあれ、リュウにとっては抱かれたことだけが現実なのだ。
 またボッシュ、怒るかなあとリュウはこっそり思った。
「……ごめんね?」
 小さな声でボッシュを起こさないようにそう言って、リュウは彼の胸に頬を寄せて目を閉じた。
 安堵していた。
 それがどんなかたちであっても、ボッシュがリュウを抱き締めて、こんなに近くにいてくれるのだ。
 疲れ切った身体に、眠りは再びすぐに訪れた。
 だからリュウはボッシュがぱちっと目を開いて、眠ったか、と溜息を吐いたことにも気がつかなかった。
 






◇◆◇◆◇






 どうしようもない。
 仕草のひとつひとつが初々しく、たどたどしい。
 それはボッシュをいらつかせはしたが、同時に興奮もさせた。
 こういったことに慣れないと見えて、リュウはボッシュに触ったり、触られたりする時は、決まってちょっと俯き加減の上目遣いで聞くのだった。
 痛くない?とかおれのそんなとこなんか触って、きたなくて気持ち悪くない?だとか、そんなふうに。
 だがリュウはなにも拒絶しなかった。
 ボッシュがやれと言えば何でもした。
 死にそうなくらい恥ずかしいと見えて、真っ赤な顔で、従順に言われたとおりにやるのだった。
「……リュウ?」
 名前を呼んでも、返事はない。
 深く完璧に眠入ってしまっているのだった。
 余程疲れたと見えて、この様子だと肩を引っ掴んで揺さ振ってやっても目を覚まさないに違いない。
 だらしない顔なんかして、と、ボッシュは口の端を曲げた。
「……ヨダレついてるぞ、このバカオリジン……」
 口を開けっぱなしで寝ているリュウの顎を伝っている涎を指で拭ってやって、ボッシュは溜息を吐いた。
「救いようがねぇな。こんな面白おかしい身体になっちまって」
 リュウの胸を掴んでやった。
 むにゅっと柔らかい感触があった。
 大きくも小さくもなく、女にしては本当に中途半端な大きさだ。
 割合かたちは良いということには、さっき触っていて気が付いたのだが。
 ぴくっとリュウは微かに震えて、んん、とか小さく唸った。
 起きるかな、と思ったが、どうやらリュウはまだまだ眠りの中にいるようで、目を閉じたまま少し微笑み、ボッシュの腕をぎゅうっと抱いて、安心したような寝顔を晒している。
「……なんでこんな馬鹿な奴なんか、俺は……」
 リュウは馬鹿だ。
 その馬鹿に執着する自分ももしかしたら馬鹿なのかもしれない。
 そう思い当たって、ボッシュは顔を顰めた。
 リュウは相変わらず気楽に眠っている。
 このリュウという人間には、悩みというものが欠落しているのかもしれない。
 いつもいつも、絶望の真っ只中にあるはずの時でさえも、へらへらと笑ってばかりだ。
 誰彼構わずその笑顔を向けるのだ。
「……こっち見ろよな、オマエは」
 青い頭を小突いてやった。
 昔からそうなのだった。
 リュウはいつも穏やかで、声を掛けられれば誰にでもその柔らかい微笑と一緒に振り向くのだった。
 特別というものがないのだった。
 ボッシュが知っている限り、リュウが人に執着しているところを見たことは一度きりだ。
 あのニーナとか言う子供だ。
 その為に、リュウは空まで開けた。
(別に嫉妬してる訳じゃないからな)
 忌々しく、ボッシュはそう思った。
 今もそうだ。
 街に愛されたオリジンとなって、リュウはサードレンジャーだった頃とは比べ物にならない数の相手にそうやって微笑むのだ。
 街の人間ども、統治者たち、リュウは特別を作らずに公平に平等に全てを愛することができる人間だった。
 そのリュウがボッシュだけを見るしかないこの状況というものが、ボッシュは割とお気に入りだった。
 姿を見せて憎しみを与えるだけで、リュウは怯えて泣き出し、許しを乞うのだった。
 その間はリュウはボッシュだけを見て、ボッシュの言葉のひとつひとつに絶望し、許しの気配に僅かの希望を持って、また切り捨てられ、絶望に突き落とされた。
 リュウの感情はボッシュの言葉ひとつに左右された。
 ふと、ボッシュは眉を顰め、リュウの頬を撫でた。
 涙の跡が、湿ってまだ残っていた。
「……俺は、オマエを泣かせてばっかりなんだな」
 目尻を舐めてやると、乾いた涙の塩辛い味がした。
 リュウにひどくしてやること、ボッシュはそのくらいしかリュウを繋ぎ、拘束し、自分の方を向かせる方法を知らなかった。
「たまには笑えよ」
 本当のところは、サードの相棒同士のあの頃のような従順さでもって、リュウがボッシュだけにずうっと好きだと言って笑い掛けて、そんなことを望んでいるのかもしれない。
「……飽きたよ、オマエの泣き顔とか」
 だがひどくして、そうすることでリュウは確かにボッシュの姿だけを目に映すのだ。
 その他の方法で、どうすればいいだろう?
「……なんでちゃんと好きになってくれって、言わないんだよ」
 ボッシュには分からない。
















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