レンジャーの適性試験を受けたのは、普通よりも大分遅い時期だった。
 12かそこらだったように思う。
 それまでは剣聖の元で毎日のように修行を積んでいた。
 内容と言えば、強烈だった。凶悪なものだった。
 その一言だけで、後はもう思い出したくもない。
 訓練相手に上級ディクが宛がわれればまだいいが、父親に剣の稽古をつけてもらうことになった時など、決まってぼろ雑巾みたいになって運び出され、目が覚めると寝室のベッドで掛かりつけの医者に、全治何週間とか言い渡されるのが常だった。
 だがそのおかげでボッシュ=1/64は強くなった。
 実力から言えばセカンド、いや、ファーストにまですぐに手が届く程だ。
 候補生やサードの下積みなど蹴ってもなにも問題はなかった。
「ボッシュ様、何故今更レンジャーなどに。貴方様にはもっと素晴らしい役割がいくらでもございますでしょう」
 周りはみんなそう言った。
 ボッシュはそれに関しては適当に答えておいた。
 一番下から実力でここまで這い上がってきてやるんだ、それは嘘ではなかったし、それで誰も文句は言わなくなった。
 はじめから父はなんにも言わなかった。







「特例はありません、ボッシュ=1/64。例え貴方が剣聖のご子息で1/64だとしても、他のレンジャー志願者と同じく全て候補生となります。それでもよろしいのですか」
 適性はぎりぎりだった。
 統治者にまで手が届くD値を持っているボッシュにとって、レンジャーなどという下級、中流階級の者の役割となっている職業に就くなどということは、一般的に考えられないことだった。
 試験官は戸惑いながらそう聞いてきた。
 元よりそのつもりだ。
 候補生、それからサードなど、すぐに駆け抜けてやればいいだけのことだ。
 ボッシュにはそれだけの力があった。
 それに、セカンドやファーストから始められたとしても、目当てを上手く見付けられない可能性があったので。







 こうしてボッシュ=1/64は12の歳の半ばにレンジャー候補生となったのだった。
 適性試験を受けたのは他よりも遅かったが、候補生となる為の訓練を行う幼年学校はさすがにパスしてやったので、大体がボッシュと似たような年頃の少年少女たちだった。
 ほとんどがみなローディーだった。
 中央省庁区、上層区では見たこともないくらいにD値が低いものばかりいるのだ。
 はじめは物珍しくそれらを観察していたボッシュだったが、やがて彼は気がついた。
 物珍しいのはここでは彼らではなく、ありえないくらいハイディーの自分のほうなのだ。
 D値が高いと知って、猫なで声で擦り寄ってくる奴も多かった。
 それはボッシュに不快感を与えた。
 ボッシュが探している彼女もそうなのだろうか?
 そう思い当たってボッシュは面白くなかったが、周りを見渡してもあの子の姿はどこにもなかった。
 約束を忘れてしまったのだろうか。
 それとも、適性試験で切り捨てられたか。
 もう少し様子を見よう、とボッシュは思った。
 なに、レンジャーなんて職業、すぐに上に上り詰められる。
 5年、10年あれば、周りの候補生どもが一生掛かっても上がれない位置にまで、ボッシュなら行けるだろう。
 家に帰る気はなかった。
 父と顔を合わせずに済む環境なんてものは、ボッシュは今まで考えもつかなかった。
 空気は汚く息苦しいし、建物は埃っぽく、地下水まで染み出してきている。
 人間の住むところじゃない。
 だが父のいる中央省庁区、あそこに比べればどこだってボッシュにとっては楽園だった。
 あの子がここにいなくても、この下層の街ですぐに見付けてやる。
 自分にはそれができるとボッシュは思った。
 D値も身分も分からない、幼い頃に一度会ったきりの少女を追い掛けてこんなところまで来た自分が少しおかしかった。
 仮に彼女が約束を忘れ、花でも売って暮らしているとしても、すぐに見つけ出してここから連れ出してやる。
 彼女が好きなレンジャーになり、強くなったボッシュ=1/64が、もっと高いところまで連れていってやる。
 空気が綺麗で、日々の暮らしに困ることなんかない世界へだ。
 まさか拒絶することはないだろう、きっと子供のころと同じように微笑んで頷くはずだ。
 その自信もあった。
 候補生が集められたホールの壁にもたれ、ボッシュは他のものとは離れてひとりでいた。
 時刻は0800を指していた。
 じきに候補生の世話係を押し付けられた、不運な下っ端レンジャーが顔を出すことだろう。
 それまでこの退屈な時間をどう潰してやろうかとボッシュは考えていた。
 他の候補生のように、馴れ合うことだけは勘弁だ。
 1月もすればボッシュは彼らの上官となっているに違いない。
 覗うような視線がひどく気に入らず、不快だった。
(くそ、さっさと来いよ、候補生のお守りレンジャー。誰だか知らないけど)
 このボッシュ=1/64を待たせるつもりか、とボッシュは口の中で呟いた。
 ふいに遠くの方から、たったっと規則的に駆ける足音が響いてきた。
 レンジャー基地のドアの向こうだ。
 ひどく慌てているようだった。
 それはどんどん近くなってきて、そして、――――ドアが、開いた。
「遅れてごめんなさい……!」
 そいつは遅刻してきた候補生のようだった。
 はあはあと呼吸を荒げて、真っ赤な顔をして、それからようよう顔を上げ、にっこりと微笑んだ。
「……遅くなって、あの、みんなもう揃ってた?」
 おまえで最後じゃないの、と誰かが言った。
 まだ大丈夫、教官誰も来てないよ、と誰かが言った。
 お優しいことで、フォローしてやったようだ。
 ボッシュはそれらを耳に入れながら、だが聞いてはいなかった。
 ボッシュは硬直していた。
 壁から背中を浮かして、踏み出して、名前を呼ぼうとした。
「ル……!」
 だがはっと思いとどまり、ボッシュは慌てて口をつぐんだ。
 そいつは青い髪をしていて、それも肩まで届くくらいに長く、穏やかな青い目をしていた。
 記憶の中のあの子に良く似ていた。
 だが、決定的に違っていた。
 そいつは男だったのだ。
 可愛い顔こそしているが、どこからどう見ても普通に少年に見えた。
 細く痩せ細った腕とか、まっ平らな胸板とか、少し少女よりもトーンの落ちた声だとかだ。
 その青い髪の少年はにっこり微笑んで、胸に抱いた書類の束を整えて、すっと姿勢を正して名乗った。
「……サードレンジャーの、リュウ=1/8192です。これから1月、きみたちの指導に当たることになりました。よろしく!」
 良く見てみればそいつが羽織っている青いジャケットは、下層区ロゴの入ったサードレンジャーのものだった。
 ボッシュと大して歳の違わないそのリュウとか言う少年は、あっけにとられる候補生たち相手に、ふにゃっといまひとつ頼りない笑い方をして、首を傾げた。
 候補生のひとりが、手を上げた。
「はい、トッドくん。なんですか?」
「失礼ですが、本当にあなたが指導隊員なのですか? 僕達と同じレンジャー候補生に見えますが……」
 周りの意見を代表して、トッドくんとやらが質問をしてくれた。
 リュウはそれに困ったように笑って頷いた。
「あ、その……本当です。本来きみたちの指導員になるはずだったサードレンジャーがディクにやられて入院してしまって、かわりにおれと、もうひとりのレンジャーがきみたちを担当します。ゼノ姉ちゃ……じゃなくて、ゼノ教官の命令です」
 他に質問はありますか?とリュウはまたふにゃっと笑って言った。
 誰も手を上げなかったので、リュウはこほんとひとつ咳をして、大人びた顔で、では説明をはじめます、と言った。
 仕草がたどたどしいので、誰か上官の真似でもしているのかもしれない。
「おれがきみたちに教えなきゃならないのは、この訓練施設の基本的な使い方について、あとは候補生の一日のスケジュールについて、大体このふたつです。えと、戦闘訓練なんかはまだないから安心して。あ、昇格試験のこともそのうち説明しなきゃならないんだけど、すぐ聞きたい人、いますか?」
 全員が手を上げた。
 リュウは困ったようにまた笑って、そう、と頷いた。
「ちょっとまだいろいろ慣れないと余裕がないかなと思ったんだけど……きみたち候補生は、レンジャー昇格試験を受けてはじめてサードレンジャーになれます。試験は実技と筆記。詳しい内容はデータディスクの試験内容を見て。レンジャーになってから使うことばっかりだから、ちゃんと覚えておいてね」
 わかった?とリュウは言った。
 なんだかレンジャーらしくない奴なのだった。
 リュウは、じゃあ案内するからついてきて、と言いながら歩き出した。
 そして床に転がっていたボルトを踏ん付け、顔面から派手にすっ転んだ。
 がつ、と鈍い音がした。
「…………」
 沈黙する候補生に、リュウはいたたと額をさすりながら起き上がった。
 なんだか慣れた様子だったので、ここで転ぶのも初めてではないのだろう。
「あ、ここ、わりといろいろごろごろ転がってて転びやすいから、気をつけてね」
「…………」
 レンジャーってほんとに大丈夫なのか、なんか思ってたのと違う、そんな声がちらほらと囁かれる中で、当の自称サードレンジャーのリュウはまたなんにもわかってなさそうな顔で、ふにゃっと笑った。
 ぞろぞろと頼りないレンジャーについていく候補生の一番後ろで、ボッシュは頭痛を覚えていた。
(帰りてえ……)
 彼女――――ルーはこんな馬鹿な職業に憧れていたのだろうか?
「あ、ボッシュくん、遅れないでね。迷ったら大変だよ!」
 にこにこしながら、記憶の中の彼女にうりふたつの顔で、その「リュウ」という少年は言うのだった。
 なにがなんだかさっぱりわからなかった。
 その少年の名はリュウ=1/8192。
 ボッシュが探していた少女ルーとそっくりで、そそっかしくてどんくさいくせにサードレンジャー、上官だとか言う。






 それがボッシュ=1/64とリュウ=1/8192の、再会とも言って良い出会いだった。

















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