どうやら新任のサードレンジャーらしかった。
訓練施設の隣にくっついた候補生の寮の、建付けが悪い自動ドアを自力で開けながら(ありえない。これじゃ手動だ)ふう、とリュウは一息ついた。
「リュウ指導員、じゃあ貴方は前までここで?」
「うん。半月くらい前かな、急に夜中に連絡が入って、レンジャー試験に合格したから荷物を纏めろって言われて、それでレンジャーの寮に移動したんだけど」
リュウはまた困ったようにふにゃっと笑った。
「部屋に空きがなくて、また戻ってきたんだ。ほんとは基地の倉庫でもぜんぜん良かったんだけど」
「良かったんですか……」
人当たりの良さからか、リュウは既に何人かの質問責めに遭っていた。
なにを聞いても真剣に考えて答えてくれるので、今のうちにレンジャーとなった後の生活について詳しく聞いておきたいということなのだろう。
もっとも、それだけではないようにも見えたが。
「うん、良かった。レンジャーになれるならなんだって良かったんだ。おれ、適性ぎりぎりで落ちこぼれだから、サードレンジャーになれるかなれないかくらい、試験に合格したらいい方、一生サードレンジャー止まりだって言われた」
「そりゃ厳しいですね」
「でもなれた。嬉しいよ、憧れのレンジャーだったんだから」
リュウはにこにこしながら、ほんとに嬉しそうに話した。
「じゃあもうディクとか倒しに行ったんですか?」
「……う、ま、まだ。サードになって、これがはじめての仕事だから」
「そう言えば、もう一人来るって言ってませんでしたっけ」
「あ、さっき連絡が入ってね。線路にディクが出たから、そっちに行っちゃって……」
だからおれだけなんだ、ごめんね、とリュウは言った。
「……貴方は行かなくて良いんスか?」
「ま、まだちょっと心の準備が……」
「駄目じゃないですか、レンジャーが」
笑い声が上がった。
リュウはちょっと恥ずかしそうに、そうだねえ、と言った。
その笑顔は、やっぱりルーに似ていた。
「指導員、そう言えばいくつなんですか?」
「あ、おれ、12。ハドソンくんは?」
「オレは13っス」
「あ、俺は12です。タメですね」
「指導員、でもサードにもう受かってますよね。すげえなあ、同い年なのに」
「あ、おれはちょっと候補生になったのが早かっただけだよ。10歳の時だったから」
「わ、早え!」
「そのかわり、幼年学校には行ってないんだ。そのまま来ちゃった。候補生になったら、大体1年でサードに上がれるのが普通なんだって。どんなローディーでも1年半あれば……おれは2年掛かったけど……」
またリュウは、ちょっと照れたように笑った。
ふわっとしていて、柔らかい感触だ。
リュウが笑うたびに、空気が柔らぐのが感じられた。
緊張でがちがちになっているレンジャー候補生の指導員としては、良い人選かもしれない。
ただ馬鹿のようだが。
「たしか、同期のすごいハイディーっていう人は、半年で上がっちゃったよ。上層区から来た人」
「へえ、そりゃすごいや」
「そんじゃ、あの人も……」
リュウを取り囲んでいる一人が、ボッシュの方を見た。
気取られないように観察していたボッシュは、不機嫌に顔を顰めた。
こっちを見るんじゃない、うっとおしい。
「ボッシュ君?」
「は、はい。……すげえハイディーなんですよ。1/64なんだって……」
確かさっきのトッドくんとやらが、リュウに顔を近付けてこっそり耳打ちした。
あいにく耳は良い方だ。
加えて声が大きい。内緒話にすらなっていない。
だが、ボッシュは聞こえないふりをしていた。
どうだっていいことだ。
リュウはきょとんとした顔で、ボッシュの方を見た。
他の奴らと同じく、このリュウというレンジャーも、媚び諂うのだろうか、ボッシュに。
ルーと同じ顔で?
ボッシュは次に予想されるリュウの言葉に、顔を顰めた。
聞きたくはなかった。
「ろ、ろくじゅうよんぶんのいち……って、すごいの?」
「はあ?!」
だが予想は大きく外れた。
候補生が何人か、びっくりしてリュウを見た。
この指導員は何を言い出すんだ、という感じだ。
「な、何言ってんですか? こんな、レンジャーになるようなD値じゃないでしょう、ていうか、適性ぎりぎりだったって噂もあるんですよ!」
「あ、ぎりぎりなんだ……おれとおんなじだねー」
「ぜんっぜん違うっスよ、指導員!」
候補生の方が無言で知らん顔をしているボッシュに萎縮してしまって、ほわんと笑っている指導員との間で視線を行ったり来たりさせている。
「上と下じゃないですか! D値を見たらわかるでしょう?!」
「あ、ごめんね」
リュウはちょっと申し訳なさそうに俯いて、あのね、と言った。
「おれ、数字読めないから……」
「…………」
しばし沈黙が訪れた。
リュウは慌てて、あ、馬鹿だと思われてる、と恥ずかしそうな顔をして慌てながら、わたわたと言い訳をした。
「こ、候補生って職業訓練しかしないから! あ、でも読める単語はあるんだ、デンジャーとか火気厳禁とか、「申し訳ありませんでした、このような失敗は二度としません」なんて長い文章も書けるし!」
「…………」
「ええと、おれのD値ならわかるんだけど、一緒の人なら……な、名前を覚えるのはそのかわり得意なんだ。えーと、その……」
リュウは無理に笑顔を作って、ボッシュにぼそぼそと言った。
「す、すごいね、1/64……」
「…………」
きっと全然分かってないに違いない。
ボッシュは頭痛を堪えながら、どーも、と言っておいた。
こんな馬鹿ははじめて見た。
「えっと……じゃあ次は、宿舎の部屋の割り振りについて。基本的に4人から8人の大部屋です。組み分けは……あ、ボッシュくん? だいじょうぶ?」
名前を読み上げ掛けたところで、リュウはぱっと顔を上げて、ボッシュを見た。
「頭痛い? 顔色悪いよ。メディカルルーム、行く?」
「……平気です。問題ありません」
「もう、みんなそう言っていつもそのうち倒れちゃうんだから! 無理なんかしたら駄目なんだからね」
リュウはちょっと怒ったみたいに言って、隅の壁にもたれているボッシュのところへやってきた。
無造作に手を伸ばして、ぺたっとボッシュの額に触れた。
「ううん、熱はないみたい」
「な……」
ボッシュは驚いて硬直してしまった。
こんなふうに、何の気負いもなく身体に触られたことなど初めてだった。
自分の額を触って比べて、リュウは呑気に空気が悪いからかなあ、とか言っている。
他の候補生は顔を真っ青にしている。
(やっぱり、こいつぜんっぜんわかってねえ……)
D値の差というものが全然まったく理解できていない。
普通ローディーというものは、ボッシュにこんなに気安く触れられるものじゃないはずだ。
「じゃあ、早く部屋で休んだほうがいいね。ボッシュくん、東棟の4人部屋だよ。だいじょうぶ? 一人で行ける?」
「……子供じゃないんで」
ぼそぼそ言うとリュウは、そう?と首を傾げた。
「じゃ、誰かおんなじ部屋の人、この子連れてってあげて」
子ってなんだ、とボッシュは思ったが、もう何か言う気力は残っておらず、疲れきっていた。
「なにかあったらすぐ呼んでね。おれ、おんなじ階だから……。おれ、馬鹿だけど手当てとか看病とかはわりと上手いんだよ」
リュウはそうやって、安心させるように微笑んだ。
「なあ、オマエ……」
リュウは部下のはずのボッシュに「おまえ」なんて呼ばれて少し戸惑ったようだが、そう言えば同い年くらいの子なんだ、と自己完結したようで、なに、と言った。
「双子の女兄弟とか、いるか?」
リュウはおかしな質問に首を傾げていたが、首を振って言った。
「いないよ。おれ、一人っ子らしいから」
「あっそ」
話はそこで終わり、ボッシュはリュウから部屋割りをひったくって歩き出した。
「あ、ボ、ボッシュくん?! ちょっと、駄目だよそれ、みんなの……!」
「指導員、待って下さい」
「あの人はまずいですから……」
候補生どもが、部屋割り表をボッシュから取り戻そうと追い掛けたリュウを引き止めた。
「で、でも……廊下に貼り出してないと、みんな、困るよ……」
「だ、大丈夫です! 全然困らない!」
「な、なあ?」
引き攣った声で笑いながら、彼らはリュウがこれ以上ボッシュに無礼を働かないように、なんとか言い聞かせているようだった。
これではどちらが指導員なのかわからない。
角を曲って、ボッシュは少し待った。
声だけが聞こえてくる。
「……あいつは、まずいですよ、指導員」
「そうそう、あんたすげえ失礼なことばっかりして、消されちゃうかも……」
「関わり合いにならないほうがいいですよ」
まただ。ボッシュはうんざりした。
こうやって媚びておきながら誰もボッシュには近付いて来ないのだ。
リュウの声が聞こえた。
「そういう訳にはいかないよ」
あれも同じに決まっている。
なにせ、ローディーなのだ。
ボッシュのようなハイディーに媚びて生きないわけがない。
だが、リュウの声には卑屈さも畏れもどこにも見当たらないのだった。
「だっておれ、ちょっとの間だけど指導員だから、みんなの面倒をちゃんと見なきゃならないんだ。D値で全部決め付けるなって、いつもおれの教官が言ってるよ」
「あ……教官って?」
「うん。ゼノ教官……」
リュウの声は、そこで急に誇らしげな響きを帯びた。
「すごく、格好良い人なんだ。おれの憧れのレンジャーだよ」
最後まで聞かずに、ボッシュは歩き出した。
何故だか知らないが、ひどくむかむかした。
これが初日だった。
先が思いやられるな、とボッシュはこっそり溜息を吐いて、部屋割表を握り潰した。
Back * Contenttop * Next
|