ドアが開いて、入ってきたリュウは変な顔をした。
「あ……ボッシュくん。なに?」
ボッシュは先にリュウに宛がわれた部屋の中に入り込んで、ベッドの上に陣取っていた。
リュウはちょっと困ったような顔をした。
「やっぱり、頭痛い? 静かなところがいいんなら、治るまでここで寝なよ。ベッド貸したげるよ」
「……リュウ指導員は、お優しいんですね」
「そ、そんなことないよ……」
ローディーがハイディーに媚びてるんだろ、と皮肉で言ってやったのに、通じなかったようでリュウは照れたように笑った。
「あ、後で返してね。部屋割。一応おれが全部覚えてたけど、ちゃんと見えるところに貼っておかないと、みんなきっと迷っちゃうから……」
ボッシュはくしゃくしゃに丸めた部屋割を、リュウに投げ付けてやった。
「いたっ。……もう、投げないでよ。こんなにくしゃくしゃにしちゃって」
リュウは口を尖らせてそう言いながら、ちょっとほっとしたような顔でボッシュに言った。
「でも、ありがとう。返してもらえて良かった」
「…………」
何故だろう、こういう行動のひとつひとつ何もかもが、あの子と重なるのだった。
兄か弟か、それも双子か何かだろうと予想してみたのだが、リュウ=1/8192には姉も妹もいないという。
(……まさか、なんだか今、ものすごい馬鹿なことを思い付いたんだけど)
まさかあの子は、あんなに可愛い顔をしてたけれど、本当は、
――――ほんとは、男、だったとか……。
(まさかな)
馬鹿な思い付きだ、とボッシュは切り捨てた。
あの少女が男なんて訳がない。
記憶の中の出来事なので、今となっては少し思い出を美化してしまっているかもしれない。
それでも、男と女を間違えるなんてへまをやらかすはずなんてない。
確かにリュウは可愛い顔をしていた。
子供の時分の彼を見掛けたなら、もしかしたら少女と見間違ったかもしれない。
だが、それでも――――
(そんな馬鹿なことがあるわけない!)
ボッシュは頭を抱えてベッドに顔を埋めた。
だが本当のところを言えば、疑わしいからこそこうしてこの頭の足りない指導員の顔を見に来てやったわけなのだった。
ちゃんと顔を見れば馬鹿な思い違いだったと、それで済むだろう、納得できるだろうと思ったのだった。
だがリュウは、見れば見る程あの子にそっくりだった。
話し方もほわんとした雰囲気も、少し記憶の少女よりトーンの落ちている声も、可愛い顔も青い髪も、全部。
ボッシュはちらっと顔を上げた。
リュウはとても心配そうに眉を曲げて、そんなに頭痛い?と小さな声で訊いてきた。
あまり大きな声を出したら頭に響く、なんて気を遣っているんだろう。
「……なあ」
「ん?」
「下層区って、青い髪の奴、いっぱいいるのか?」
リュウは首を傾げた。
「さあ……そう言えば、他にあんまり見たことないかも」
曖昧に笑って、珍しいかな、なんて言って、リュウはにっこりした。
「だめだよ、静かにしてなきゃ」
そして、またボッシュの額にぴたっと触れた。
まただ。
この男は、どうしてこんなに気負いなく、自然に相手に触ることができるのだろうか。
謎だ。
「熱は……ないか。大丈夫」
そして、ぽんぽん、とボッシュの頭を撫でた。
「痛いの、すぐ治るからね。だいじょうぶ、だいじょうぶ……今はガマン。ね?」
なんだこの子供にするみたいなの、とボッシュは思ったが、もう疲れてしまっていて、それ以上声にすることはなかった。
そして本当のところは、何故だか知らないが、不快ではなかったので。
日々の訓練は初歩の初歩、そのまた初歩で、退屈に過ぎていった。
身体がなまってしまうことが、切実に心配だった。
サード試験を受ける為に、決められた時間は講義、基礎の実技訓練に顔を出さなければならなかったのだが、それがまたやるせなくなってしまうものだった。
剣の持ち方、道具の扱い方なんかだ。
子供でも知ってるようなものだ。
しかし、周りはそれを大真面目な顔をしてやっているのだ。
やってられるか、というのがボッシュの感想だった。
さっさと試験でもなんでも受けて、雑魚のディクでもなんでもいい、実戦をこなしておかなければ、身体はなまっていく一方である。
「なあ、あとどれだけで試験受けられるの?」
まずい飯を食いながら、ボッシュはスプーンをリュウに向けて指して、訊いた。
リュウは一生懸命にがっついていたが、ふっと顔を上げた。
「あ……あうう、う?」
「……いーから、食ってからで」
「うー……」
リュウは言われたとおりさっさとハオチーを飲み込んで、なに?と訊いてきた。
「試験」
「あ、ああ……ボッシュくんはあと講義が5時間、もう少し。すごくちゃんと真面目に出てるもんね。偉いね」
「…………」
馬鹿にしているのかと思ったが、どうやらリュウは心底感心しているようだった。
ボッシュは無言で促した。
「実技は……まだだよ。訓練開始一月以内の候補生は、実技試験を禁止されているんだ」
「なんで?」
「危ないから」
リュウは大真面目な顔をして、言った。
「ほんと、危ないから……みんな実戦なんてほとんど……あ」
リュウはつい口が滑った、という感じで、ごめん、今の内緒ね、と言った。
「へえ、実戦試験なんだ?」
「う……でもまあ、いいか。言うなって言われてるわけじゃないし」
「じゃあなんで隠すの?」
「だって……みんな怖がるだろうと思って。でもボッシュくんは、全然平気そうだよね。なんで?」
「慣れてるから」
「……え?」
「ディクなんて、うちの周りにごろごろしてるからさ。慣れてるよ、見るのも、殺すのも」
「…………」
リュウはきょとんとしていたが、はあ、と感心の溜息を吐いた。
「す、すごいところに住んでるんだね……」
「そりゃ、まあ」
「あ、わかった。バイオ公社でしょ!」
「……なんでそうなるんだよ」
「あ、違った? おかしいなあ。昔一度中に入ったことがあるんだけどさ、すごかったんだ、ディクとか」
「…………」
ボッシュは食事の手を止めて、リュウの言葉を聞き咎めた。
「……バイオ公社、だって? ローディーのオマエが、簡単に入れるところじゃないだろ」
「うん、……リフトに入り込んで保護されたんだ。おれ、あそこで初めてグミっての見た。すごく綺麗でね、あ、ボッシュくん、グミって見たことある?」
「……飽きるほど」
内心混乱していた。
手はちょっと震えていたかもしれない。
リュウは頬杖なんてついて、行儀悪く(ローディーだからこれが当たり前なのかもしれないが)、おれはナゲットが好きなんだけどね、と言った。
「あのさ、ル、リュウ……指導員」
「ん?」
「……や、なんでもないよ、やっぱり」
ちょっと聞くのが怖くなった。
「変なボッシュくん」
リュウはおかしそうににこっと微笑んだ。
オマエはあの時の子なのか、ルーなのか?
「お嫁さんにしてあげる」なんて言ったら、泣きながら頷いて、絶対だからなんて言った少女なのか?
男、だったのか?
(そ、そんなことがあるわけがない……!)
ぐさっ、とハオチーの肉の塊に乱暴にプラスチックのフォークを突き立てて、ボッシュは忌々しくその疑いを振り払った。
ルーは女の子だ。可愛くて、いつも笑っている子だ。
「リュウ」じゃない。男じゃない。
良く似た他人だ。
そうに決まっている。
「……ここにきてから随分経つけど、まだ空気、慣れないかな? 気分が悪いの?」
オマエのせいだとは言わないでおいた。
「リュウ」が「ルー」のわけはない。
でも怖くて絶対聞けない、そんなこと。
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