視界に唐突に鈍い鉄色の切っ先が映り、ボッシュははっとして、反射行動でレイピアを握った腕を前に突き出した。
 金属がぶつかり弾ける音、小さな悲鳴、土埃が上がったのは、そいつが地面に尻餅をついたからだ。
 少し遅れて、訓練用にカバーか掛けられた剣が草むらに突き刺さった。
「いたた……」
 眉をひそめて顔をしかめ、腕を押さえて――――どうやら擦りむいてしまったようで、僅かに血が滲んでいる。
「ぼーっとしてたから、一本、いけると思ったのに……」
 ぶつぶつと不満げに言って、彼女、ニーナは立ち上がった。
 土で汚れた背中と尻をぱんぱんとはたいて、もう一回、と言った。
「次は、だいじょうぶ」
「……大丈夫って、なんだ。オマエが俺から一本取れるとか、本気で思ってるのか? 剣持って何日だ、言ってみろ」
「ええと、いち、にー……」
「……こんなことで俺を煩わせる暇があるなら、書庫で魔法のお勉強でもしてろよ」
「そっちはね、ちゃんとやってるの。魔法なら、ボッシュよりわたしのほうが強いわ。ボッシュ、グレイゴルとかすごいへたくそだもん」
「……マジムカツクね、オマエ」
「あ、じゃあわたし、魔法教えてあげようか?」
「いらねえし、調子に乗るな、バカ」
 ボッシュは肩を竦めて、よいしょ、と剣を重そうに持ち上げたニーナに、面倒くさく訊いてみた。
「……なんでいきなり、剣を習いたいなんて言い出したわけ?」
「わたし、リュウを守らなきゃならないから、できることはなんだってしたいの」
「……魔法があるんだろ、オマエ。最強の魔法使いじゃなかったっけ」
「魔法はね、大丈夫。もうわたし十分強いから、ほかのこともちゃんとやりたい」
「……一回殺してやろうか?」
「冗談……なのかしら? うーん、わたし、ちゃんと強いんだけど、それだけじゃ駄目なの」
「ハア?」
「いつも後ろでリュウのお手伝いしかできないんだもの。わたしも前に出たいのよ」
「オマエがあのバカなオリジンより強くなれるとは思わないけど」
「なるわ。それで、リュウを守るの。リュウに格好良いって思われたい」
 ニーナは、にっと笑った。
 その表情は、見慣れたものに良く似ていた。
 リュウの笑い方だ。
「あ、リュウには内緒よ。きっと危ないって怒るわ」
「どうだか」
 ボッシュはやれやれと手を広げた。
「なんで俺なんだよ。マジでぶっ殺されるとか、考えなかったわけ?」
「そんなことしたら、リュウはほんとにボッシュのこと嫌いになるわ」
「…………」
「リュウくらい強い人に教えてもらわないと、リュウより強くなれないもの。あ、リュウの方がボッシュより強いけどね」
「馬鹿言うな。俺の方が強い」
「リュウの方が強いもの!」
 ニーナは自信満々にそう言って、そういえば、とはたと頬に手を当てた。
「……今日は、なんでそんなにぼーっとしてるの?」
「……してねえよ」
「してるよ」
「うるせえな。関係ねえだろ、オマエには」
「やっぱりしてるのね。ねえ、なんで? リュウに嫌いだって言われた? また泣かせちゃった? 意地悪しちゃった? 怒るわよ」
「なんで全部あいつなんだよ」
「だってボッシュ、いっつもリュウのことのほか、どうでも良さそうなんだもの」
「……勘違いするなよ。俺は、あいつのことなんかどうだって知ったこっちゃないし、大体大嫌いなんだ。憎いし、殺してやらなきゃならない。だからここにいる」
「はいはい」
「……マジムカツクね、オマエ。ぶっ殺すぞ」
「はいはい、ボッシュ。あ、ごはんの時間」
「聞けよ。いいか、わかってるんだろうな。俺はあいつのことなんて、全然これっぽっちも好きなんかじゃないんだ」
 ボッシュは、少しらしくないとは自覚しながら、むきになって言った。
 大事なことだ。
「好きだとか、思ってなんかねえし、絶対……」
「わたし、リュウ大好き。女の子のリュウ、すごくかわいいよね」
「俺に同意を求めるな。だからそんなこと、どうだっていいんだ」
「わたし、絶対一回はボッシュを剣でやっつけてやるんだから。リュウをいじめてばっかりで、ひどいことしてばっかりで、お仕置きなんだから。覚えておいてね」
「できるものならいつでもどうぞ。オマエには無理だよ」
「できるわ」
「無理だよ。似合わないから、今日で止めとけ。オマエ、仕事放り出して何やってんだよ。クビにするぞ」
「大丈夫、リュウが遊んでおいでって言ったもの」
「……あいつオリジンのくせに、なんでオマエにそんなに甘いんだか」
「あ、うらやましかった?」
「全然。あいつは俺のも……」
 の、と言い掛けて、ボッシュははっとして、口をつぐんだ。
 しかめっ面をしながら横目でちらっとニーナを見ると、案の定、にこにこにこにこと笑っている。
「……何笑ってるんだよ」
「ボッシュがね、リュウを好きなんだって」
「……好きじゃない。なんだ、オマエは大体生意気なんだよ」
「今日はすごく御機嫌ね、ボッシュ」
「……別に」
「ごはん、何かな……リュウはまだお仕事なのかなあ……」
「……オマエも話題がころころ変わるな。あいつはオリジンだからな。今頃執務室で、メンバーと顔を突き合わせて仕事――――
 そこで、ボッシュははっとした。
 何故気が付かなかったのだろうか、不思議だ。
 あんなことがあったせいで、そこまでぼんやりしていたのか?
 今日はリュウとは顔を合わせたくはなかったし、朝だって寝ているリュウをほったらかしにしたまま、目を覚まさないうちに部屋を出た。
 まともに顔を付き合わせて、どうすればいいのだ。
 また苛めてやるべきか。とてもじゃないが、そんな気分にはなれない。
 もし最中の恥ずかしい告白なんてリュウがちゃんと聞いていたなら、それこそ死んでいいくらいにやるせなくなってしまう。
(……それでも、全然いいんだけどな、別に)
 リュウは覚えているだろうか?
 それを信じるだろうか?
 ボッシュがリュウをどれだけ愛しているかとか、そんなことを聞いていたなら、もう「憎んで」も「痛くして」も、「殺して」も言わなくなるだろうか?
 ちゃんと、愛して、と言うようになるだろうか。
 それは推測だ。憶測だ。
 あのリュウの具合から言って、きっと聞いていないだろう。
 だがもしそうだったなら、リュウがボッシュのあの言葉を聞いていたなら、どうするだろう?
 憎んで欲しいならそうしてやるし、愛して欲しいならその通りにしてやる。
 そうまでしてリュウに執着し、愛していることを知ったら、どうするだろう。
 あの気に食わない罪悪感なんかよりもずっと深く、おれもボッシュが好きだと笑ってくれるだろうか。
 今度こそ、愛して抱いて欲しいなんて、もしかしたら赤い顔で、俯きがちに恥ずかしそうに、懇願してくれやしないだろうか――――
「またぼーっとしてる。ボッシュ、だいじょうぶ? お顔、真っ赤よ。熱でもあるの?」
「……何でもねえよ」
 またぼおっとしてしまって、余計なことを考えていた。
 そんな場合じゃない。
 ボッシュはニーナに確認した。
「おい、ニーナ。能なしオリジンは今、仕事中なんだな」
「うん、そう。リュウのこと、能なしって言わないで。ボッシュのバカ」
 バカって何だとボッシュは顔を顰めそうになったが、くどいようだがそんな場合じゃないのだ。
 そう思い直して、鋭くニーナを睨んだ。
 彼女を睨んだところでどうなるものでもないということは、わかりきっていたのだが。
「執務室か」
「うん、そう……あ」
「メンバーどもと、一緒に?」
「リュ、リュウ! どうしよう、またお尻触られて泣いちゃってるかもしれないよ、ボッシュ!」
「……ったく、世話の焼ける……」
 鞘に剣を収めて、ボッシュは足早に街の中心へ向かった。
 ニーナもぱたぱたと慌ててついてくる。
 それから、あ、剣、と思い当たったようで、勝手に彼女の訓練用の剣――――リュウの部屋から失敬してきたものらしい紫音剣である。確かゼノのものだったと記憶しているが、どうしてここにあるのかは知らない――――を、ボッシュのレイピアの鞘に一緒に括り付けた。
「……おい」
「だって、わたしが剣なんて使ってたなんて知ったら、リュウ危ないって泣いちゃうわ!」
「だからって何で俺が」
「ボッシュが持ってると、変じゃないでしょ」
「……後でアナセミプリン、奢れよ」
 どうでもいい遣り取りをしながら、そんな場合じゃないのだ。
 二人は足を早めた。















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