街の北のプラント集合区画を抜けて、少しばかり行った辺りでのことだ。
ひゃああ、なんて間抜けな悲鳴が聞こえてきた。
聞き覚えのある声だった。
ボッシュとニーナは知らず顔を見合わせて、それからはっとして、ぷいっと顔を背け合った。
しかしそんな事をやっている場合じゃないのだとはたと気がついて、二人で似たような顔でもって、目を眇めた。
「……リュウ?」
「あいつ、また脱走しやがったな。オリジンが職務怠慢なんて、冗談にもならない」
「……あなただってしてるじゃない」
「俺はいいんだよ」
「なんで?」
「いいから、いいんだ」
それにしても、こんなところで本当に何をやっているというのだろう。
リュウの声を聞き間違えるはずのないボッシュだ。
ニーナもそうだろう。
だが、この昼間から何故街のはずれで彼(彼女、と呼ぶべきだろうが、ボッシュはそうする気にはなれなかった。慣れの問題なのだと思う)が悲鳴を上げるようなことがあるのだろう?
「ジェズイット、またなにかやったのかしら」
ニーナが少しばかり顔を顰めて、もう、と膨れっ面をした。
「お仕置きしてやるんだから」
はたして、プラントの端っこにリュウの姿はあった。
手伝いでもしようとしたのだろう、収穫した作物を籠いっぱいに――――抱えていたのだろうが、それを地面にぶちまけてしまっていた。
農園の土の上にぺたんと座り込んでしまって、俯いてしまっている。
余程ショックを受けたようで、遠目からも分かる。顔が真っ赤だ。
あの分だと、涙ぐんですらいるかもしれない。
容疑者のジェズイットの姿はなかったが、あれのことだ、姿を消しているのかもしれない。
そう訝しんだが、どうやら冤罪だったようだ。
リュウを取り囲んでいる子供の一人が、おい、泣くなよお、なんて戸惑ったように彼をあやしていた。
「な、なんだよお、泣き虫リュウの、泣き虫」
「そうだ、泣いてばっかりいると、父ちゃんに怒られるんだぞ」
「ううー……そ、そうやって、なんでみんな、おれの尻なんて撫でるんだよ……! おれは男なんだ!!」
「で、でもリュウ、うちの母ちゃんより胸、おっきいぞ」
「おい、それフォローしてるつもりなのかよ、トマス……。リュウまた泣いちゃうぞ」
リュウは、まだあどけない子供たちに半分泣かされてしまっているようだった。
切れ切れに聞こえる声から察する所、どうやら尻を触られたらしい。
ボッシュの横にいたニーナは、あ、と小さく呟いて、たっと走っていった。
リュウを庇うように子供たちの間に割り込んで、怒ったふうに腰に手を当てた。
「こらー! みんな、何してるの!」
「あ、ニーナ姉ちゃん……」
やば、という顔をして、子供たち――――三人の少年は、おどおどと言い訳らしいことを口にした。
「な、なんにも痛いことしてないよ! 叩いたり殴ったりしてないし、ひどいことも言ってない! リュウが勝手に泣き出したんだ!」
「そ、そうだよ! ちょっとお尻を撫でただけだよ! お、おっぱいも、ちょっと、触ったけど」
「だって、なあ……? お、女の子だと、触ると怒るけど、リュウは多分、怒らないもん」
「リュウは女の子なんだから、わたしとおそろいなの! そんな変なとこ、触られたら嫌に決まってるでしょう?!」
「お、おれ、男だようー……」
めそめそしながらリュウが控えめに訂正したが、ニーナは聞いていないようだった。
「もう、それは「痴漢」って言うんだから! 牢屋に入れてお仕置きよ」
「え、えー! やだよう!」
「ニーナ姉ちゃん、ゴメン! 謝るから勘弁!」
「謝るのは、リュウに謝るの。ちゃんとごめんなさいって」
三人の少年は、ニーナとリュウを交互に見ていたが、やがてきまり悪そうにリュウを覗き込んだ。
「リュ、リュウー……。ご、ごめんな」
「ごめん、謝るからさ、牢屋はやだ……」
「…………」
ひとりだけ無言の膨れっ面で横を向いている少年の額をぴんと弾いて、ニーナは「こら」と窘めた。
金髪の子供だ。
「あなたは謝らないの、ジョー?」
「……やだ、悪いことは、してないよ」
「痴漢は悪いことよ。そんなだと、大きくなったら毎日牢屋に入れられて、髪の毛も生え際がまずい駄目な大人になっちゃうわよ。誰だかは言わないけど」
上手いこと言うな、と傍観者に徹しているボッシュは思う。
割合ニーナは子供の扱いが上手いようだ。
本人も子供だから、同じようなものなのだろう。
「でも、悪くないよ!」
「もう……そんなこと言ってると、こわーいお兄さんに怖いことされちゃうわよ」
そう言って、ニーナはちらっとボッシュを見た。
(……俺のことか)
金髪と赤毛、茶髪の少年たちは、ニーナにつられるようにしてボッシュを見上げ、びくっと身体を竦めた。
あまり子供に好かれる体質ではない。
自覚はしているので、ボッシュは肩を竦めた。
大体ボッシュも、子供という生き物が好きではないのだ。
手で顔を覆っていたリュウも、なんだろう、という仕草でふっと顔を上げた。
その顔は真っ赤で、じわっと涙が滲んでいた。
(ったく、そーいう顔をどこでもするんだ)
ボッシュは溜息を吐いて、リュウのそばに寄っていった。
リュウはボッシュに気付いて、あ、という表情をした。
きっと、まず思い付いたことは「どうしよう」に違いない。
ボッシュはそうだったからだ。
朝からまともに顔を合わせていない。
昨晩あんなふうなことがあって、今朝になってから初めて顔を合わせて――――もう昼近くだったが――――どういう顔をして、どういうことを言えば良いのか、その第一声すらも思い付かない。
よお、なんて何でもないふりをするのが一番良いはずだ。
リュウはぎこちなく笑うだろう。
なんでもなかったふうに、必死に平静を装いながらだ。
そうでなければ、オリジンのリュウとオリジン代行――――常時は補佐官みたいなことになっているボッシュは、常日頃顔を突き合わせている職業であったので、まともな仕事もままならない。
「あ……」
リュウは戸惑ったようにボッシュを見上げ、口をぱくぱくとさせてから、ぐあ、と顔を真っ赤にした。
先ほどの半泣きの顔の比じゃないくらい、耳まで真っ赤だ。
ものすごくストレート過ぎて、反対にボッシュが気恥ずかしくなってしまうくらいだ。
「わ、わ、わ……」
リュウはじわっと、今度は焦って慌てた表情で、さっきとは別の種類のものであろう涙を浮かべて、そして――――
「わ――――――!!!!」
立ち上がるなりすぐに背を向けて、思いっきりボッシュの前から逃げ出してしまった。
「……ハ?」
リュウはたまに何度か転びもしながら、すごいスピードで駆けていって、すぐにプラント農園から見えなくなってしまった。
後に残されたものは呆然とするしかない。
三人の子供も、ニーナも、ボッシュもだ。
(……なんだ、あの恥ずかしい反応……)
ボッシュは呆れかえっていたが、ほんの少しほっとしている自分に気がついて、無理に顔を顰めた。
何を言えば良いのか分からないなんて、本当にボッシュらしくないことだ。
あるまじきことだ。
「……ボッシュ、リュウになにかしたの?」
「……イヤ、ゼンゼン」
「……したのね。また、いじめたの?」
「……痛いこともひどいこともしてないよ」
そう、していない。
ただちょっと、気持ち良くしてやっただけだ――――最初は痛いなんて泣いていたが、リュウは、最後には、ちゃんと――――
「……子供の言い訳とおんなじね」
「うるせえな……」
「……? あれ、なんでお顔が赤いの、ボッシュ」
「気のせいだよ」
ちっと舌打ちと共に吐き捨てて、ボッシュはイライラと腕を組んだ。
ボッシュの腰くらいの背丈の子供が三人、リュウの駆けて行った向こうをぼおっと見遣りながら、ぼそぼそと話している。
「……リュウ、かわいいよなあ……お、女の子のお尻なんて、俺、はじめて触った……」
「リュ、リュウのおっぱい、やわらかかった……」
「お、おれは別にどーでもいいよ! 泣き虫リュウなんか!」
ぽーっとなったのが二人、それから残りは真っ赤な顔をしてむきになって、殊更無関心を装っている金髪の――――これは特に気に入らない、なんだか自分が一番見たくない姿を目の前で見せ付けられているような気がするのは何故だろうか?
ニーナが沈痛な顔で拳骨なんか作っていたので、彼女が手を下す前に、ボッシュは三人の子供の頭をごちんと殴り付けてやっておいた。
気に入らないのだ、リュウに構う人間たちも、それらを何もかも許すような柔らかいリュウの微笑みも、全部。
それは嫉妬というのだと、耳元でなやましげに囁く声が聞こえたような気がしたが、ボッシュはそれを綺麗さっぱり無視してやった。
うるさいというのだ、チェトレめ。
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