森の中で、リュウは追われていた。
全力でもって逃げていた。
「なっ、なっ、なっ、なんでえぇっ?」
邪公を極端に大きくして、ペンキで真っ黒に塗り潰して、翼をくっつけたらこんな感じになるだろう、という生き物である。
だが翼は形だけのものであるようだ。
その巨体で飛ぶにしては小さ過ぎたし、何しろ退化しているようであったので。
もしかしたら、以前目撃が相次いだという黒い竜の情報は、半分ほどはこいつと見間違えられたのかもしれないな、とリュウは思った。
それが見た限り五体、暴走していた。
地上にはどんな生き物がいるかわからない。
だが、大体は四足の獣だ。
知能は低く、地下の廃棄ディクよりは安全であるというのが通説であったが、まだ地上に関してのデータは不揃いであった。
探検隊が派遣され、行方を絶つというのもよくある話だ。
だからこんなふうに、得体の知れない猛獣に追いかけ回されることも、何にも不思議じゃないはずだ。
納得はいかないが。
「なんだか、見た感じディクっぽいけど……?! ち、地上の労働用ディクが、野生化しちゃったとか?」
ちらっと迫ってくる動物を見て、リュウはそんな場合ではないのだが、考えた。
「えーとえーとえーと、うぅん、ああもう!」
ざしゃっと踏み止まり、リュウはレンジャーエッジを掲げた。
「おれだって、アジーンがいなきゃなんにもできないわけじゃないんだから……!」
腰溜めに先頭の一匹を切り払おうと腕を振り上げ、がちん、と硬い音がした。
剣が折れた。
「わあああっ、アジーン! ボッシュううー!!」
リュウは折れた剣を捨てて、必死で逃げ出した。
ディクが追ってくる。
リュウは駆けて駆けて、ようやく森の木々の切れ間から光が零れた。
これで森を抜けられるかもしれない。
領域の外まではさすがに追ってこないだろう。そう思いたい。
リュウは木々の合間から足を踏み出し、少しの安堵と共に後ろを振り返った。
「抜けた……!」
だが、どうにも心許無いのだった。
踏み出したままの足が地面に付かないまま、身体は高いところに放り出されていた。
「え?」
そう、そこは絶壁なのだった。
ディクもどきが、やれやれ、と言った感じで森の奥へと戻っていくのが見えた。
「あれ?」
疑問に思っても、重力には逆らえない。
リュウの身体はどんどん地面に引かれていく。
「わ、わ、わ、」
じたばたしてみても、飛べるわけじゃない。
背中に燃え盛る炎の翼はなかったし、必然的にリュウは人間だ。
こんな高いところから落ちたら死ぬ。
「わああああああっ!!」
結局リュウにできたことと言えば、悲鳴を上げるくらいだった。
どんどんどんどん落ちていって、地面が近くなって、リュウはぎゅっと目を瞑った。
ばっしゃん!と盛大な水音と、水柱の白い飛沫、それがリュウの目に映った。
「――――わっぷ!」
どうやら川に落ちたらしい。
ざばっと水面から顔を出して上を見上げた。
「落ちて来たのは……うわあ、高い……」
どうにも自力で這い上がれそうもない。
ドラゴンがいれば、ブースターさえあればすぐに飛んで戻れる高さだったが、リュウはぶんぶんと頭を振って、アジーンはいないんだからと思い直した。
どうもこの2年間、竜の力に馴染み過ぎて、人間の身体の限界というものを忘れているような気がする。
今だって、水面に打ち付けられて全身がすこぶる痛いのだ。
できるだけ人間であるという感覚を無くさないように努力しているのだが、どうやら最近では少し忘れがちだったようだ。
「……だいじょうぶ、だいじょうぶ。生きてる……」
さっきまで、ほんとは死んだままでいた方が良かったなんて思ってたのに、今のこの生き汚さはなんだろう。
リュウは苦笑して、岸辺を探して泳ぎ始めた。
ざあざあと川の流れは割合速い。
もう日が暮れかけているので、水は光も反射せず、黒っぽく濁っていた。
ざばっと背後で水の揺れる音が聞こえて、リュウは何気なく振り向いた。
そして硬直した。
「……えっと」
すべらかな丸い頭が見えた。
顔の真中には、大きな目玉がぎょろっと嵌っている。
身体は黒っぽい赤色。
何度か釣りに出向いた時に、そいつを釣り上げた記憶がある――――命名、一つ目ダコ。
ただし、小さいやつを。
「あのう……」
ちゃぷっと顔を出すだけで川面が波打つくらいに大きいものは、お目に掛かったことがなかった。
こんなものがいるのなら、是非とも釣り上げてみたいものだ。
ただし、ドラゴンとリンクしている時に。
またアジ―ンを頼っちゃってるな、と苦笑している余裕も、今のリュウにはない。
タコは奇妙な行動に出た。
くるっ、と身体を裏返し、八本の触手めいた足をくたっと頭にくっつけた。
身体の裏側に見えるのは、大きな口だ。
リュウの手のひらほどの大きさの尖った歯が、びっしり生えている。
そこまでで、あとは見ていられなかった。
「わあああああっ!」
また逃げ出して、リュウは必死でじたばたともがきはじめた。
おれ、そういえば泳げなかったんだ、と頭の片隅でリュウは思ったが、沈んでいる場合ではない。
もたもたしていると食われて死ぬ。
「わあああっ、ごっ、ごめんー! おれ、もう釣りなんてしないからー!!」
言葉が通じるはずもないが、リュウは真っ赤になって追い掛けてくるタコに謝りながら、ばしゃばしゃと逃げ出した。
岸に上がればひとまず安全なのだろうが、うまい具合に砂地が張り出しているところが見つからないのだ。
とりあえず川下へ、リュウは全力で泳ぎ出した。
ほぼ流されていると言った方が近いだろうが、そうしていると、前方に奇妙な生き物を見付けた。
大きさはリュウの頭程度だ。
昆虫らしい硬い羽根が生えている。
どうやらどこかから落ちてきたらしい。リュウとおんなじふうに。
近くなると、だんだんその姿がはっきり見えた。
「あ……!」
リュウはそれに気がついて、慌てて泳いで流される方向を修正した。
「た、たすけてええ! お、溺れちゃうよう!」
それはリュウに気がつくと、あ!という顔をして、小さな手をいっぱいに伸ばして、リュウの髪を掴んだ。
ざばっと水から上がり、リュウの頭の上に乗って、ぶるるっと身震いし、水滴を振り払った。
そして、にこおっと笑った。
それ――――彼女は、妖精だった。
「ひさしぶりよう! て、あーっ、フェアリドロップ、もってないよう! ひどいよう!!」
「そ、そんなこと言ってる場合じゃないよー! うわっ、頭押さえないで! 沈む、沈むっ!」
「あげるよう!」
「あとでねー!!」
あれあれ、とリュウが背後を指すと、妖精さんは目を丸くして、手綱を取るようにリュウの髪を引っ張った。
「い、いたいいたい! いたいいー!!」
「は、はやく逃げるよう! なんかまずいのがくるわよう! たべられちゃうよう!」
「き、きみは、飛んで逃げたらいいんじゃないかな!」
「羽根が水で湿って飛べないようー! って、あー! 滝ー!!」
「へっ?!」
悪夢のようなことは何度も続くんだということを、リュウは身を持って体験したのだった。
リュウは妖精さんを庇うように、むぎゅっとコートの中に押し込んだ。
すぐそこまで迫っていた滝に、二人と一匹……いや、一人と二匹というべきだろうか?
リュウと妖精と、それから一つ目ダコは投げ出されて、遥か下方の滝壷に落下していった。
「うわああああっ! ま、また、だ――――!!」
「きゃああああ! 落ちていくようー!!」
ざばあっとまた白い水柱が見えて、それから後のことはリュウは覚えていない。
ただひとつ解かったのは、人間とは結構頑丈な生き物なんだな、ということだ。
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