朝になると、雨は止んでいた。
昨晩のひどい雨と風の中で、器用なことにいつしか眠ってしまったらしい。
ふっと気が付くと外はもう明るかった。
半身を起こして辺りを見ると、昨晩リュウにくっついてさむいようさむいようとじたばたしていた妖精の姿が見えない。
「……もう帰っちゃったのかな?」
ごしごしと目を擦って、リュウは柔らかい朽ちた巨木の上で、ぺたっと座り込んだ。
おれももう帰ろうかなあ、でもボッシュと顔を合わせるのは、なんてぐるぐると考え込んでいた先、頭の上の木の穴からふよふよと見慣れた小さな姿が飛んできた。
どうやら彼女は、先に仲間の元へ帰ってしまったわけではなかったらしい。
「おはよう、リュウ!」
「あ、おはよう……今何時だろ」
「そんなことはどうでもいいのよう! 早く外に出るよう!」
「え? あ、ちょっと待って、服……」
「そんなの、どうでもいいよう! すっぱだかでも全然問題なしよう!」
「おれはあるんだけど……」
あんまりに急かされるので、とりあえずコートだけ羽織ってリュウは表に出た。
昨日の嵐で一面水浸しになっていて、ぱっと見湖の中にぽっかりと木が浮いているようにも見える。
「はやくはやく! 虹、消えちゃうよう!」
「え、虹……?」
ふうっと顔を上げて、リュウは見た。
空には見たこともないくらいに大きな虹が掛かっていた。
「わー……! すごいなあ!」
「こんなの、後でいやんなっちゃうくらい見れるよう! はい、今の内よう!」
「え?」
急かされたと思ったら、クラベルはリュウの頭の周りをぐるぐると回って、そして例の聞き慣れた台詞を吐いたのだった。
「目を閉じて、歯ぁ食いしばるよう!!」
「えっと、」
ちょっと待って、と言おうと口を開けたのだが、彼女はリュウを待ってはくれないようだった。
後ろ頭にがつんと鈍い衝撃があって、そしてリュウの意識は再び闇に沈んだ。
「――――っ!!」
はっと気が付いたら、いつのまにか見覚えのない場所にいた。
広い広い草原に、リュウはひとりぼっちでぽつんと突っ立っていた。
空には見たことがないくらいに大きい虹が掛かっていた。
「あ、あれ?! ここ、どこ?」
慌てて辺りを見回すと、すぐそばにクラベルが浮かんでいた。
彼女は滞空したまま身体をぐうっと伸ばして背伸びをすると、ほっとしたように言った。
「ようやっと、帰ってこられたよう! もう探検なんてこりごりよう……!」
「あの」
「あ、リュウ! ここが新しい共同体よう。ついてくるといいよう」
「う、うん」
ふよふよと飛んでいく彼女の後について、そう行かないうちに、小さな建造物の群れが見えてきた。
クラベルは中心に立っている木にやってくると、くるんと嬉しそうに一回転してから、枝に掛かっているボードにこう書き込んだ。
『探検隊クラベル、無事帰還よう! 今回のおたからはリュウを見付けたよう』
「おれ、おたからなんだ……」
「しーっ、実は川に落ちた時に、なけなしのおたからを落っことしてしまったよう……。 みんなには内緒よう」
「う、うん。わかった」
こくこくと、リュウは頷いた。
クラベルはリュウの頭の上にぴょこんと飛び乗って、腰に手を当ててふんぞり返った。
えへん、と咳払いなんかして、そして大声でもって宣言した。
「みんなあ、ただいま帰ったよう!!」
「わ」
耳の近くで大音量で喚かれて、リュウはびくっと首を竦めた。
クラベルは得意そうにリュウの頭の上で足踏みなんてしていて、おたからよう、なんて上機嫌だ。
(ほんとにおれ、おたから扱いなんじゃ……)
苦笑していると、あちこちの家らしい建物のドアが開いて、久方ぶりに見る顔がいくつもいくつも現れた。
ロッサにグリシナにウィオラ、パンセスにプリムラ……妖精さんたちだ。
残念ながら、あんまりにもみんなしてそっくりなので、顔の見分けがつかないが。
彼女らは仲間のクラベルと、そしてリュウの姿を見付けると、一斉に歓声を上げた。
「わー、リュウよう! ひさしぶりよう!」
「なんか昔とちょっと違うよう???」
「気のせいよう! いっしょよう!」
「クラベル、おかえりよう! すっごいおたからよう!」
「オーナーよう、さっそく共同体をもっともっと発展させてほしいよう」
わいわいと取り囲まれて、しかし彼女らは気まぐれであったので、わっとリュウを取り囲んだと思ったら、すぐにぱっと散り、思い思いにきゃあきゃあと遊びはじめた。
「あの……ここ、どこ?」
「ん? ここは虹のふもとの共同体よう! 雨が止んだら出てくるよう」
「へー……」
リュウは感心しながら、辺りを見回した。
草原にぽつんと立った大きな木の下に、彼女らは家を造り、なんと家畜まで飼っていた。
地下世界で良く見掛けたナゲットが、小さな牧場の囲いの中を元気良く走り回っている。
「まだまだ建設中よう。もっともっと大きい建物がいいよう。これじゃリュウ、入れないよう?」
「あ、そうだね……ほんとだ、おれじゃ詰まっちゃう」
「さっそくきりきり働くよう」
「あ、おれも働くんだ……」
「当然よう。あ、でもその前に、服がびっしょびしょよう。脱いだら?」
「え。いや、いいよ。着てればそのうち乾くから」
慌てて首を振って、リュウは自分の格好を見た。
アンダーを付けている余裕はなく、裸足のままで、裸にぐしょ濡れのコートが一枚きりだ。
ひどい姿だ。
「リュウ、そのコート、サイズ合ってないみたいよう」
「ああ……これ、こないだまでおれが男だった時のだから」
「だぼだぼよう。直してあげようか?」
「ううん、いいよ……。きっとそのうち元に戻るさ。その時服がちっちゃくなってたら、窮屈だし」
「ふうん。でもリュウ、おっぱいが気持ち良くてそっちのがいいよう」
「そ、そーかなー?」
どういう反応をすれば良いのかわからず、リュウはとりあえずふにゃっと笑った。
そうよう、なんてクラベルが大真面目に頷いた。
「あ、言い忘れてたよう。ここは、虹のふもとだから……」
「ん?」
「次の虹まで、のんびりゆっくりしていくよう」
「あ、帰れないの?」
「帰れないことはないけど、どこに出るかわかんないよう」
「そっかあ……。うん、ちょうどあんまり帰りたくなかったし。でもみんな心配しちゃってたらどうしよう……」
「それならアリさんメールが便利よう。世界中どこにいても、50ゼニーぽっきりでお手紙配達するよう!」
「へー」
リュウは感心して頷いて、あ、とコートのポケットを弄った。
「そ、そう言えば昨日、ディクに追っ掛けられてる時に落っことしちゃったみたい、財布……カードも、こないだプラント壊しちゃった時に没収されたんだ……」
「命の恩人とは言え、ビタ一文まかんないよう!」
「う、うん。あのさ、クラベル」
リュウは困ったように、ふにゃ、と笑った。
「着払いって、ありかな……」
◇◆◇◆◇
『えーと、そんな感じで帰るのは次の雨降りの後になります。
アジーン、だいじょうぶ?
おれのことならなんにも心配いらないからね。
チェトレと仲良くね。
あ、オリジンの仕事、ほったらかしてきちゃったけど、大丈夫かなあ……。
ニーナも風邪なんて引かないように、危ないこともしちゃ駄目だよ。
ここはすごく虹が綺麗だから、次はニーナとリンもいっしょに来ようね。
みんな、二人に合いたがってたし。
妖精さんの天気予報では、近い日にまた雨が降るって言ってたから、その時には一旦戻ります。
おれ一応オリジンだし。
クピト、メベト、それまで街をどうかよろしくお願いします。
じゃあ、また。
あ、ジェズイット!
痴漢なんてしたら絶対駄目なんだから!
リュウより、共同体にて』
「ボッシュへ、って一言もないのな。こりゃ相当怒ってるな、リュウ」
やれやれと肩を竦めて、アジーンはちょっとばかり面白そうに口の端を上げた。
その軽薄そうな仕草にニーナは首を傾げ、ジェズイットはああやっぱりなあ、と溜息を吐いた。
「尻に触ろうとしただけなのに、問答無用でぶっ飛ばされるもんだから、二代目にしちゃおかしいと思ったんだ……」
「アジーン……リュウじゃないの?」
「ん、いっしょだよ、ニーナ」
不思議そうにしているニーナに、アジーンはリュウそのものの笑顔でにっこりと笑い掛けた。
「俺たちは、ふたつでひとつなんだ。半分はちょっと今出掛けてる。この通り。でもすぐ帰ってくるよ」
「……うん。ねえ、えっと、リュウ? ボッシュと喧嘩したの?」
「うん、実は、すごく。ボッシュから謝ってくるまで、絶対許してなんてやらない」
「ふーん……ボッシュが「ごめんなさい」するのね?」
「そうそう」
「しねえよ、馬鹿ドラゴン」
ふてくされた顔をして、会議室のデスクに行儀悪く座っているボッシュが吐き捨てた。
「あいつ、勝手に勘違いしただけだろ」
「ニーナ、見てなよ。絶対あいつ、「ごめんなさい」するよ」
「うん、見てる。楽しみ」
「オマエら、死んでいいよ、マジで」
「オマエこそ死んでいいよ。リュウに仲間外れにされちゃって、ふてくされて。まったく子供っぽいんだから」
「オマエに比べれば誰だって子供だよ、婆さん」
「……チェトレ?」
『お、おれのせいじゃないよー! おれの管轄じゃないし、アジーン姉ちゃんは今日も綺麗だったら! せ、千歳なんて竜にしてみれば全然年寄りなんかじゃないし、もうボッシュ、何てこと言うんだよ?! 姉ちゃんすごい怒ってるよ!!』
「知らない」
頭の中だけで響くチェトレの声を聞き流して、ボッシュはやれやれと肩を竦めた。
「寝る」
「あっ、オマエ、訂正してから部屋に帰れよ! 誰が婆さんだ! ピッチピチの可愛い19歳の若者だろうが、俺!!」
「なんかリュウの格好でそういうこと言われると、変な気がするよなあ」
「……本人も、もう少しそういうところを分けてもらえばよかったのに。しかし、それにしてもこれは外交に入れちゃって良いのかな……妖精の共同体、とか……」
「なんでこう人外が集まるのかねえ、あいつの周りは。それにしてもこれ、痴漢ダメ、ゼッタイ、ってのは、俺宛てのメッセージがあって喜ぶべきことなんだろうか」
「ぼくに聞かないで下さい」
ジェズイットとクピトが、ぎゃんぎゃんと喚くリュウの姿をした竜と、あくまでそっけないボッシュの遣り取りを傍観しながら、ぼそぼそと言い合った。
その隣ではセントラルの入口でディクと間違えられて、レンジャーに排除されそうになった蟻のピコティが、へなへなと突っ伏している。
「ハ、ハードだったアリ……。割に合わんアリ」
「だいじょうぶ? お手紙、ありがとうね。今度から、ちゃんと気をつけるね」
「ほんとに是非そうして欲しいアリ。あ、ハンコ、下さいアリ……」
ニーナが差し出された配達表に、ぽんとオリジンの御印を押した。
「あー! ニーナ、何やってるんですか! そんな御印を気軽に……」
「でもリュウのお手紙よ。いいんじゃないの?」
「まあ、そりゃそうですけど……威厳とかそういうの、オリジンに求めるのはもう無理なんでしょうかねえ……」
クピトがはあっと溜息を吐いて、あんまりそれ、ぽんぽん押さないで下さい、とニーナから御印を取り上げた。
「だから訂正しろっつってんだろー! 言ってみろ、アジーン様は若くて可愛らしい美少女ドラゴンです! ハイ!」
「うるせえな、このブサイクなゾンビが。腐食が脳味噌まで進んでんじゃないの?」
「てめえ、絶対ぶっ殺してやる!!」
「……ほんとに、なんか変な光景だな」
「うーん、ねえ?」
げんなりと、あんまり見たいもんじゃないな、とぼやくジェズイットに、ニーナが困ったように頷いて同意した。
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