共同体での日々は忙しないものだった。
ナゲットを育てながら狩りの手伝いをして、それで初めて知ったのだが、妖精は雑食であるらしかった。
味覚などはほぼ人間と変わらないらしい。
「大体肉が好きなのよう」
クラベルなんかは肉食に偏っているようだった。
ただ、小さな身体ではまともな肉にはありつけないのだ、と嘆いていた。
そんな訳で狩りの手伝いをしたり、蟻と一緒に整地、家の建設の手伝い、何故か居酒屋の店員――――そうしているとあっという間に一日は終わって、夜にはくたくたになっていて、ぐっすりと木の下で眠った。
デスクワークなんてものがほとんどなかった。
こういうの久し振りだなあ、なんてリュウは妙な感慨を覚えていた。
身体を動かして動かして動かして――――レンジャー時代の仕事はこんな感じだったのだ、確か。
空の下で汗だくになりながら肉体労働をする、それはオリジンよりもいくらもリュウ向きのように思えた。
そう、本当はリュウは、あまり頭を使うのが得意ではないのだ。
その分今の仕事は余計なことで悩んでいる余裕はなかったし、身体を動かしていると何もかも忘れていられた。
そんなある晩のことだ。
「お疲れさまー」
「お疲れさまよう。あ、リュウー? 水浴び?」
「うん、これから」
「いっしょに行くよう!」
ひととおり仕事が終わった頃には、もう日が落ちて、月が出ていた。
辺りには白い霧が立ち込めていた。
霧に月光が反射し、幻想的な虹を作り出している。
夜にも虹って出るんだ、ということを、リュウはここに来て初めて知った。
月虹と言うものらしい。
すっかり懐いてくれるようになったクラベルが、リュウの頭にぴょんと座って、さあ行くよう、と言った。
「共同体にもお風呂が欲しいところよう」
「汗だくだもんね……コート、洗わなきゃ」
ここ数日ですっかり裸足に慣れてしまって、ぺたぺたと草の上を歩きながら、リュウは夜空を見上げた。
星は見えない。
ただ細かい水の粒が無数に漂っていて、少しじめっとしている。
「どうやら明日は雨が降るよう」
「あ、そうなんだ……。ええと、いち、にい、さん……4日? 割と早かったね」
「ほんとに帰っちゃうよう?」
「うん……あ、今度はニーナとリンも一緒に」
「そりゃあいい労働力ゲットよう!」
他愛ない話をしながら、透明な水の湧き出す泉のほとりで、リュウはコートを脱ぎ捨てて、ぱしゃぱしゃと水面を掻き混ぜた。
「うわあ……冷たい」
「気合いよう!」
ばしゃん、と小さな飛沫が上がった。
クラベルが泉に一番に飛び込んだのだ。
「つ、つ、つ、つめたいよう!」
ぶるぶる震えながらすいっと泳ぎ出す彼女に、リュウはくすくす笑いながら、そおっと足の先を泉に浸けた。
「ひゃあ……」
ほんとに、冷たい。
雨に打たれても風に吹かれても、まともに風邪ひとつ引かなかった。
リュウはやはり丈夫にできているらしい。
水深は腰の辺りまでで、水は透き通り、透明であったので、底の砂が月明りに反射して、きらきらと光るのが見えた。
水面を映して、曖昧な影がゆらゆらと揺れている。
リュウは、ばしゃっと頭まで水の中に潜った。
冷たさが芯までリュウを冷やしてくれた。
疲れきって火照った身体も、こうしてふっとゆるやかな時間が訪れると、余計なことを考えてしまいがちな頭も冷やしてくれた。
「……ぷは」
顔を出して、ふわふわと水の中を浮かびながら、リュウはまっすぐに空を見上げた。
今夜は丸い月が、夜の地上を明るく照らしている。
波紋の広がるじいんという音が、水中で聞こえる。
リュウは目を閉じて、ふうっと息を吐き出した。
クラベルはリュウの頭の方でぱしゃぱしゃと楽しそうに泳ぎまわっている。
「明日か」
明日になれば、リュウは街に帰らなければならない。
いつもどおりオリジンに戻って、いつもどおりの仕事だ。
補佐官まがいの仕事をしているボッシュとも顔を合わせるだろう。
何でもない顔をして、リュウは執務に掛かるだろう。
そうしなきゃならない。
まずは、いきなり叩いてごめんね、だろう。
それから、もうあんなことはしないで、おれに触っちゃ駄目だ。そういうこと。
幸せになってね、おれ、応援してるよ――――言うべきことは、それで十分だろう。
それでいつもの日常を、問題なく迎えられるはずだ。
「……あ」
じわっと目に涙が浮かんできて、リュウは駄目だなあと溜息を吐いた。
未練がましい性質をしているのだ。
「もう、駄目だ……」
リュウはごしごしと目を拭った。
「あーっ、リュウ、どうしたの? 目が痛い?」
「い、いや……なんでもないんだ、うん」
「あっ、わかった! 失恋ってやつなのよう!」
「う……ええっと、うーん」
言葉を濁して何でもないと言おうとしたのだが、クラベルは物珍しそうに目をきらきらとさせているばかりだ。
リュウは困ってしまった。
「人間は恋をするのよう……。ロマンチックなのよう」
「え? 妖精さんはしないの?」
「普通はしないよう。みんな大好きか大嫌いかで、特別ってものがないのかもしれないよう。だって、みんな女の子なのよう」
「あー……ほんとだ、女の子だ、みんな」
「たまに結婚に憧れて、人間のオスのお嫁さんになる子はいたらしいよう。でも、飽きちゃったらすぐ出てっちゃうから、旦那さんはその度に泣くのよう」
「そうなんだあ……」
リュウは、はー、と感心してしまった。
こういう話を聞くと、種族の違いってすごいものなんだなあと思ってしまう。
「妖精さんには愛はいっぱいいっぱいあるけど、恋はないのよう。リュウ、どんなの?」
「え」
いきなり聞かれて、リュウは真っ赤になってしまった。
言葉に詰まって、うーとかあーとか声にならない声でうめいて、ぶくぶくと水の中に沈んでしまう。
「リュウ、それ、面白い遊びよう!」
「あ、遊びじゃなくて。ええっと、そうだね……い、い、い、言えないや……恥ずかしくて……」
水面から顔を出して、リュウはのぼせた顔で、ほんとにはずかしい、と言った。
「恋とは、哲学よう……。難しいよう」
「む、難しいねー……。哲学かどうかは知らないけど」
「でもリュウはふられたよう」
「ふ、ふられ……ちゃったね、うん……あはは……」
虚ろに笑って、リュウはがっくりと項垂れ、はあっと溜息を吐いた。
「全然上手くいかないんだ……。おれ、多分こういうの、すごいへたくそなんだと思う」
「ロマンチックがへたくそなの?」
「そ、そう、うん、多分。良くわかんないけど」
リュウとロマンチックなんて、ナゲットとアブソリュードディフェンスくらい接点も何もない言葉だと思う。
「す、好きは好きで、ちゃんと上手くできてるよ。それは自信あるんだけど」
「でも、ふられたの?」
「う……ふ、ふられちゃった……」
「ううん、おかしいよう。リュウはおっぱいは柔らかいし、ふよふよして気持ち良いから、なんでふられるのかが不思議よう……」
「た、多分それ、全然関係ないと思うけど……」
「あったかいグミみたいな感じよう」
「うわあ……なんかちょっと、気持ち悪いかも」
リュウは困ったように笑って、でももういいんだ、と言った。
「はじめから、無謀だなあっていうのは、知ってたんだから」
「諦めちゃうの?!」
クラベルはびっくりしたようにばしゃんと跳ねて、リュウの髪の毛を引っ張った。
「わ、いたたたたたっ!」
「もったいないよう! せっかく恋する予感があるよう! 捨てるよりまず、こっそりひとりで楽しむよう」
「ひ、ひとりで?」
「恋って、ひとりでするものじゃないの?」
「あ、そ、そうなの?」
「違うの?」
「さあ」
「わかんないよう」
「わかんないねー」
リュウはくすっと笑って、いいのかなあ?なんて首を傾げた。
「こっそりしてて、いいのかなあ?」
「人には言えない禁断の秘密というやつよう。ロマンチックよう」
「……あ、あ、あ、あのさ。好きな人が、その、他の人と結婚とかしちゃっても、好きでいていいのかなあ?」
「さあ……わかんないけど、障害はある程燃え上がるよう。妖精さんにはできない恋ってやつよう」
クラベルは目をきらきらとさせていた。
「人間の恋って面白そうよう! なんで妖精さんにはできないのよう」
「いや、おれに聞かれても……」
リュウは、なんだか胸の奥でつっかえた塊がひとつひとつ溶けていくような、そんな気がした。
この気持ちも、痛くて泣き喚きたいくらいに醜い感情も、人らしい心のうちで大事なものなのだろうか。
例えどんな未来が訪れるとしても、リュウは1000年ボッシュを愛して……彼を、彼が選んだ少女を、その子供を、子孫を、ずっと、ずっと……愛することができるだろうか?
彼に連なるもの全てを、少し遠くから見ながら、彼らに愛を注ぐことができるだろうか。
全てに公平で、平等なオリジンとして。
それがリュウに精一杯で許された愛情表現なら、リュウは迷わずそうするだろう。
何故こんなことに気が付かなかったのだろう。
ボッシュを、そして彼が選ぶもの全てを愛し、慈しむことにしよう。
それらはリュウにとって絶望の対象ではないのだ。
ボッシュと同じように、愛すべき存在なのだ。
そこにリュウの入り込む隙間はどこにもないとしても、リュウは人間らしい純粋な恋なんていう愛のうちの一種の感情を抱いて、誰にも見つからないように、1000年先の未来までずっと彼らを愛するだろう。
そうすることだけは、リュウは、リュウを許してやろう。
「あ……なんか、吹っ切れちゃったかも」
「?」
「明日、なんだか楽しみになってきたよ。あの人の顔を見られるっていうことが。ずうっと、どうしようって思ってたけど……」
リュウはにこおっと笑って、ありがとう、とクラベルに礼を言った。
「きみのおかげだね。もう、おれはもの考えるの、苦手なんだから。最近ずうっとデスクワークばっかりで、頭が固くなっちゃってたみたいだ」
「照れるよう」
「あ、でもこれ、誰にも内緒ね?」
「いいよう! クラベルは口が固いのが自慢よう。墓の中まで持って行くよう」
そして、くすくすとひとりと一匹で笑い合った。
◇◆◇◆◇
「じゃあ、またね。次は落ち付いたら、ニーナとリンと一緒にくるよ」
「楽しみにしてるよう! 今、いつでも共同体に繋がるフェアリドロップを開発中よう。できたらあげるよう」
アイテム開発担当のウィオラが、ぶんぶんと手を振った。
「道案内はクラベルに任せるよう」
「あ、でも、大丈夫? クラベルが帰れなくなるんじゃ……」
「探検隊クラベルは、次は人間の街を探索するよう」
「そうそう、そこなら、川に落ちてディクに襲われることもないよう……」
どうやら街までついてくるつもりらしい。
リュウは、そう、と頷いて、そしたらニーナたちに会えるね、と笑った。
クラベルは早速リュウのコートの胸元にむぎゅっと顔を突っ込んだ。
その位置が、どうも気に入ったらしい。
「とりあえずまっすぐまっすぐ、適当に歩いていくよう」
「……それで本当に大丈夫なの?」
「あーっ! 疑ってるよう! だいじょうぶよう、雨上がりだから、外と繋がってるはずよう」
どうやら共同体は、少し世界からずれたところに存在するらしい。
良くわからないながら、リュウは歩いた。
さっきまで全身を叩いていた雨は上がって、草原の草はくたっと頭を垂れ、水浸しの草原はまるでどこまでもどこまでも続く湖のように見えた。
アンダーもブーツもどこかに行ってしまったから、びしょ濡れのコートだけを身体に纏って、裸足でリュウは歩いた。
その胸元ではクラベルが顔を出している。
なんだか心地良さそうな顔をしながら、彼女は言った。
「リュウのおっぱいは、やっぱり気持ち良いよう……」
「…………」
それは素直に喜んで良いことなのか、リュウには良くわからない。
しばらく行くと、遠くにリュウの街が見えてきた。
きらきらと水溜りが反射して、輝き始めた。
雲が切れて、太陽の光が降り注ぎ始めた。
遠くの方に見慣れた人影を見つけた。
光を反射して輝く金の髪の少女だ。ニーナだ。
彼女は嬉しそうな顔をして、リュウの方に駆けてくるのだ。
リュウはにこっと微笑んで、どうやら探しに来てくれたらしい見慣れた人たちに向かって手を振った。
また世話掛けて怒られるんだろうなあ、なんて思いながら。
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