ぐいぐいと力いっぱい腕を引かれて、引き摺られながら階段を上って廊下を行った先、リュウが乱暴に連れ込まれたのは見慣れたボッシュの自室だった。
どん、と乱暴に背中を押されて、リュウはベッドに倒れ込んだ。
「わ……!」
ボッシュはすぐさまリュウの上に馬乗りになって、リュウの肩を掴んで押さえたまま、乱暴にリュウの口唇に噛みついてきた。
「んっ……う?!」
リュウは驚いて、目を見開いてじたばた暴れた。
(だ、駄目……!)
ふるふると首を振って駄目だよと目で訴えても、ボッシュはそんなリュウの意思なんて、はなから無視して掛かるつもりのようだった。
顔を背けて逃げると、ボッシュはひどく面白く無さそうに顔を顰めて、ぱん、とリュウの頬を張った。
「……お返しだよ」
そっけなく言って、彼はリュウのコートをはだけた。
頬の痛みに呆然としていたリュウは、はっとして半身を起こした。
「だ、駄目だよ! もうこんなことしちゃ、駄目……」
ボッシュは、リュウの言うことなんか全然聞いてくれなかった。
びしょ濡れで身体にくっついたリュウのコートを邪魔っけそうに引き剥がして、床に放り捨てた。
裸のリュウの胸に、ボッシュが思いっきり強く、噛みついた。
「……っあ! い、痛い、痛いよ……、やめてよ……」
リュウは肩を震わせて、懇願した。
本当に、もうこんなことは止めにしなければならない。
「やだ、さわらないで。もう駄目だ、こんな……ボッシュ!」
リュウは悲鳴を上げたが、ボッシュはまるでお構いなしだった。
いつものことだ。
ボッシュがリュウの言葉に耳を貸す必要はない。そう、当たり前のことだ。
だが、こればっかりは駄目だ。
こんなことをしたって、どこへも行けやしないのだから。
「いや……やだよお、ボッシュ……さわら、ないで、お願い……」
じわっと涙が浮かんできて、リュウの視界をぐにゃっとへし曲げた。
ボッシュはしばらく物言いたげにリュウの顔を見下ろしていたが、結局口をきかないまま、リュウの脚を広げた。
リュウは強張って、彼から逃げようと腰を浮かせた。
その行動が気に触ったのだろう、ボッシュはリュウの首筋を掴んで、ベッドに押し付けた。
「――――っ、うう、うっ」
容易く呼吸を止められて、リュウは口を開けて、必死に空気を飲み込もうと喘いだ。
やめて、ボッシュ――――そう懇願しようとした。
だが言葉は声にならず、意識が朦朧としてきた。
典型的な酸欠の症状だ、とリュウはぼんやり思った。
ボッシュに殺されるのだろうか、ここで。
リュウにとっては、ボッシュに殺されるのなら、今ここでも1000年後でもどちらでも良かったのだが。
「……逃がしゃしないよ」
ボッシュの目は、その灰色がかった緑の目は、奇妙な色合いを帯びて、ぎらぎら光っていた。
(あ……食べられちゃ、う……?)
リュウの身体、感情、愛しさも思慕も、絶望も落胆もなにもかもが、その目の前ではまるでうすっぺらい紙切れのように、どうだって構わないものであるように思えた。
そうしていると、リュウは被捕食者だった――――ボッシュに食われるのを、ただ項垂れて待つだけの。
それはある種の恍惚ではあったが、リュウは緩慢に頭を振った。
(もう、ほんとに……駄目なのに)
そして、うっすらと微笑んだ。
リュウはボッシュの前では笑っていなければならない。
彼が嫌うもの、例えば辛気臭い鬱々とした顔だとか、怒り、悲嘆、そういうものは、もう彼に見せるべきものではない。
リュウはただ微笑んで、彼と彼に連なるものを――――見ていようと、そう決めたのだった。
無論、ここで終わるのなら、それはそれで構わない。
ボッシュがリュウだけを見ている錯覚を覚えたまま、眠りにつくことができるのだ。
それは幸せなことだ。
(……殺してくれるの……?)
リュウは目を閉じ、ボッシュに全て委ねた。
身体から力が抜けて、リュウの呼吸を止めるボッシュの腕に縋って、そうしていた。
はっと息を飲む気配がした。
ボッシュは緩慢にリュウの喉から手を離し、そしてほんの僅かの間、不思議そうに両手のひらを見つめた。
その仕草がどう言ったものなのかは、リュウにはわからなかったが。
ボッシュは何故だか、彼には少し似合わない戸惑った仕草で、リュウにまた口付けた。
今度は噛みつかれなかった。
口腔の深いところまで、舌で舐められた。
目の前にちかちかしたものが瞬いていた。
酸欠のせいだろう。まだ頭がぼおっとしている。
ボッシュはそうして身体を離し、じっと黙ってリュウを見た。
「……なんでこんなことするの?」
リュウにはわからなかった。
ひどくされて、優しくされて、どちらを信じれば良いのかわからなかった。
そこに愛は無かった。
ボッシュはリュウではない誰かを愛していた。
今もリュウを通して、彼が愛する少女の幻影を見ているのかもしれない。
痛みを感じることもおこがましい、リュウは知っていたが、どうにもならなかった。
胸が痛かった。心臓が壊れてしまいそうなくらいの痛み。
もしかしたら、とリュウは考えた。
ボッシュはそれも全部承知の上で、こうやってリュウに触るのかもしれない。
彼はリュウよりずっと賢い人であったので、そういうことなのかもしれない。
リュウが絶望する方法を、知り尽くしているのかもしれない。
「……これも……復讐なの……?」
リュウは虚ろに呟いた。
ボッシュは頷かなかった。
ただ脚を広げられ、体を交えた。
開かれる痛みはあったが、胸を締め付けられるようなものに比べれば、どんなものでももうなんでもなかった。
リュウは目を閉じてボッシュに身体を委ねた。
(おれは、道具、なんだから……)
きっとボッシュにとっては、ただの道具に過ぎない。
欲求を満たすために、都合の良い道具だ。抱き人形なのだ。
ボッシュはリュウを愛してなんかいない。
時折ふっとぎこちなく優しくされたって、ボッシュはリュウを見ていない。
(あ、愛されてなんかない。好きになってなんて、思ってない。最初からそんなものなかった。なかったんだから、どこにもなかったんだから、悲しいことなんかなんにもない……)
だから絶望することもない。
リュウは物言わないまま使われていればいい。
今みたいに腰を掴まれて、何度も何度も奥まで侵入を許して、そうしているのだってリュウがボッシュの道具だからだ。
(それでもおれは愛して、1000年ずうっと好きで好きで……もうすぐ、おれの心が壊れちゃったとしても、ずうっとボッシュが好きだ。殺されるまで、ずうっと……好きだって、言ってもらえなくても、ずっと……)
リュウはこれから1000年、ボッシュに殺されるまで彼を、彼に連なるものを愛し続けるだろう。
だが、もしリュウが壊れてしまったら、その時はボッシュはあっけなくリュウを手放してしまうだろう。
ゴミみたいに扱うだろう。捨ててしまうだろう。
それでもリュウはボッシュを愛するだろう、壊れても一生懸命笑いながら、ずっと。
ボッシュがリュウを愛することなんて、生涯ないだろう。
だからずうっと、リュウはひとりぼっちでボッシュに恋をしているだろう。
(……だって、恋ってそういうものなんだよね?)
もうリュウがボッシュに、好きだよ、なんて言うことは無いだろう。
それはきっと口にするだけで、ボッシュを苛むものだ。
それはリュウひとりの胸の中だけで、これから何度も何度も繰り返されるものだ。
圧倒的な寂しさがリュウを満たしていた。
愛されない、きっとずっと見てはもらえない――――好きだなんて、言ってもらえない。一生。
狂おしいくらいに冷たい感情である。
リュウの自我をあっけなく飲み込んで、溶かして、消し去ってしまうような、そんな空洞がリュウのすぐ後ろで口を開けていた。待っていた。
リュウは無理矢理に微笑んだ。
手を伸ばして、下半身を繋げたままボッシュの頬に触れ、撫でた。
彼がいとおしかった。
彼が欲しかった。
彼は気まぐれに与え、リュウから奪っていく人だった。
リュウはもう、望むことを止めた。
手に入らないものだ。
だが、ずうっと恋だけは停滞し、リュウの中にこれから1000年あるだろう。
たとえ心が壊れても、自分を見失ってしまっても、きっとボッシュを追い掛けて追い掛けて、彼の背中だけは鮮やかにリュウの目の前にあるだろう。
(……おれが、こわれちゃっても……)
微笑みながら、リュウはボッシュの頬に口付けて、気恥ずかしくて俯いた。
ボッシュはそんなリュウを馬鹿にするみたいに顎を捕らえ、顔を上向かせて、唇に貪り付いてきた。
ぎゅうっと目を瞑りながら、リュウはボッシュの与える快楽に甘んじた。
リュウは道具なのだ。
だからボッシュは綺麗なままだ。
彼が抱くべき愛すべきものへの裏切りでは、決してない。
だから大丈夫、心配ないよ、ボッシュ――――リュウはそう言いたかった。
そう言って、ボッシュを安心させてあげたかった。
変わらず胸は痛いままだったが、自分の痛みなんて感情は、もうリュウにはどうでも良かった。
(おれがこわれちゃっても……たまにはきみは、こうやってさわってくれるかなあ……)
駄目かなあ、と考えながら、リュウはボッシュの綺麗な金髪の先を、はむ、と噛んだ。
(ねえ、どうだろうボッシュ)
やっぱりゴミ箱行きかなあ、そう思いながら、リュウはボッシュの頭をぎゅっと胸に抱いた。
(おれ、頑張るけど、もうあんまり、ほんとは……)
変わらない身体としてなら、リュウは1000年ここにあるだろう。
ボッシュを愛するだろう。
だが、精神は――――もうぎりぎりのところまで摺り切れていた。
それをリュウは知っていた。
(身体だけに、なっても……おれは、きみのことがきっと好きなんだけどなあ)
繋がってボッシュに浸蝕されながら、リュウは確信していた。
リュウの心がここになくても、リュウを構成するものは、きっとボッシュを愛するだろう。
それが例え物言わぬ屍であるとしても。
(ねえボッシュ。幸せになってね。おれ、ほんとにそう思ってるんだから)
かなうなら、彼が愛するひとを迎えに行って、街を上げての結婚式なんてしてあげて―――きっとリュウの知らない笑顔で優しく微笑むボッシュを、最期に見てみたい。そう思うのだ。
(それまで、がんばらなきゃなあ)
おれがおれじゃなくなってしまう前に、リュウは思った。
(早く迎えに行けば良いのにさ。きっと全然大丈夫だよ。ボッシュは格好良いし、きっと、その時には――――)
リュウは甘えるように、ボッシュの胸にこつんと額をくっつけて、思った。
(きみがオリジンなんだから)
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