「うわー……」
 リュウはげんなりと、それを見た。
 ボッシュが所望するクィーンベリーのタルトは、今のところ街一番のにぎわいを見せている店にあった。
 街にはこんなに人がいたっけ、というくらい――――そのどれもが顔なじみの人達なのだが――――ずらあっと、まるでワーカーアントの群れみたいな行列、行列。
 リュウは気が遠くなってぼおっとしてしまった。
 なにか代わりのものを見繕って帰れれば良いのだが、ボッシュはこれと言ったらそれ以外は口にしない人だったので、きっとここで並んで待て、って言うことなんだろう。
(あとでまた、怒られるんだろうなあ……ローディ、買い物ひとつまともにできないのか、って、昔みたいに……)
 リュウは苦笑した。
 そして、おとなしく最後尾についた。
 いくらオリジンとは言っても、こんなところで職権乱用なんて大人げないし、みっともない。
「あらあ、オリジンさまじゃないの!」
「あ、ほんとだ。どうしたの、こんなところで。ん? ここのお店の話、聞き付けてきたんだね。もうほんっとうに美味しいのよお、さすがオリジンさま、お目が高いわあ」
「あ、いや、おれは、その……友達が、食べたいって言って」
 リュウを見るなり、まるで珍獣を見たような黄色い悲鳴を上げた中年女性に絡まれて、リュウは困ったふうに微笑んだ。
「そんなに美味しいんですか?」
「そうよお。あんたも一回食べてごらんなさい。ほっぺたが落っこちちゃう」
「ニーナさまにも買ってってさしあげなさいよ。きっと喜ぶわよお」
「あ、そ、そうですね。じゃあ……」
 リュウはふにゃっと笑って、頷いた。
 ニーナも、ボッシュほどではないが甘い物が好きだったはずだ。
 一緒に食べよう、なんて言ったらきっと喜んでくれるだろう。
「それにしても、あんた仕事大丈夫なの? この店、二時間待ちなんてざらよ」
「あ……今日はおれ、これが仕事なんです」
 リュウは苦笑して、言った。
「仕事、なんだか友達が全部やってくれちゃって、おれすることなくて……」
「あら、それ、あの代行さまのこと?」
「かあっこいいわねえ、彼! ねえ!」
「おばさん、あと二十歳若けりゃアタックしてたよ、ほんとに!」
「うちの亭主もあれだけ美形だったらさ、あたしも文句ひとつ言わずに家事でもなんでもやるのにねえ」
 きゃあきゃあと黄色い声が沸き起こって、リュウはやっぱりなあ、と思った。
 ボッシュはやっぱり格好良いのだ。
「そういえばあんた、オリジンさま、代行さまとはどんな感じなの?」
「へ?」
 リュウは変なことを聞かれて、きょとんとした。
 おばさま方はそんなリュウを見て、やっぱりこっちの可愛いのもいいねえなんて言っている。
「こないだの復活祭の時にね、聞いたのよ、あんた代行さまと道の真中で抱き合ってたんだって?」
「手を繋いで二人でどっか行っちゃったって!」
「え、ええっ?!」
 リュウはまったく思い当たらずに、素っ頓狂な声を上げ、顔を真っ赤に染めた。
「そ、そんなことしてたんですか?! 嘘! お、おれ、あの晩の記憶がなくて……」
「ああ、お酒入っちゃったんだね……」
「う……そ、そうなんです……ぜんぜん、覚えてなくて……」
 すみません、とリュウは謝った。
 プラント破壊の一件はどうやらすべからく街の人々の耳にも入っているらしい……全く覚えがないのだが。
「いつ結婚式があるのかって、みんなで言ってたんだよ」
「その時には盛大に祝ってやるからさ。はやいとこやっちゃいなよ」
「え、えとあの……そ、そーいうことは、ないです……」
 リュウは真っ赤になって俯いて、ぼそぼそ言った。
「あ、あの、きっとボッシュ、怒るし……」
「かあわいいねえ、ちょっと……」
「このウブなところなんか、あたしが小娘のころにそっくりだよ」
「何言ってんだい、全然違ってたよ。あんたは今と変わりゃしないよ」
「しっかしまあ、男の子のオリジンさまも可愛いけど、あんたは絶対女の子の方が似合ってるよ」
「そうそう、代行さまも喜んでらっしゃるだろ」
「う、え、えと……その……」
 いつのまにか増えていく人の輪に取り囲まれるようになって、リュウは小さくなって困り果てていた。
 これはどうすればいいんだろう。







「ありがとうございましたー」
 はたして、無事戦いが終わった頃には(あれは戦い以外の何物でもなかった)空がもう赤くなってしまっていた。
 リュウは戦利品のタルトをふたつ抱えて、ぐったりと息も絶え絶えに、その場を後にした。
 ものすごく遅くなってしまって、きっとボッシュは怒ってるだろうな、と思いながら、リュウはようやっと目当てのものを手に入れることができて、ふうっと満足の笑みを浮かべた。
 一緒に紅茶も入れてあげよう。
 料理はからっきしだが、美味しいお茶の入れ方にはちょっと自信がついてきた最近だ。
 ボッシュのあの真剣具合から、きっと今夜も通しで設計図と格闘しているに違いない。
(うーん、夜食とかも買っといたほうが……後でもいいかなあ)
 そんなことを考えながら、リュウは走った。
 ボッシュが待ちくたびれているはずだ。







「か、帰っちゃったんですか?」
 呆然として、リュウは訊き返した。
 技師のひとりはとても申し訳なさそうな顔をして、リュウに頭を下げた。
「申し訳ありません、もう少しお引止めできれば良かったのですが――――たった今、帰られたところです」
「ええ、今日でこの仕事は、一旦終了とのことでしたので……」
「えっと……あ、だ、だいじょうぶです! きっと中央区に帰ったんだと……おれも一緒だから、平気です」
 リュウは彼らを安心させようと、にこっと笑った。
「完成までがんばってくださいね。おれバカだから良くわからないけど……あ、オリジンなのにごめんなさい、もう」
「い、いえ! めっそうもない!」
「そうです、専門的なことは我々にお任せ下さい! 貴方様がこのようなところにお越しくださるだけで、我々は――――
 真っ赤な顔をして、技術者たちがびしっと背筋を正したまま、リュウに頭を下げた。
 リュウは、やめてください、と慌てて、あ、そうだ、とタルトの入った小箱をひとつ、彼らに差し出した。
「これ良かったらひとつ、食べて下さい。並んでるみんなも、すごく美味しいって言ってました。ボッシュ帰っちゃったみたいだし、おれたちはひとつで十分ですから……」
「そ、そんな……」
「あ、ありがとうございます、オリジン様!」
「じゃあ、おれも帰ります。お仕事ごくろうさまです」
 ぱたん、と扉を閉めた途端、わ、と大声が上がって、リュウはびくっとしてしまったが、不思議に思いながらもその場を後にした。
 ボッシュは帰ってしまったらしい。
 もう自室に戻っているだろうか?








◇◆◇◆◇








「……おい、ほんとにそれ、食っちまうのか……?」
「も、勿体無くないか?」
「しかしせっかくオリジンさまが、我々に「食べて」と……」
「オ、オリジンさま……今日も麗しかった、な……!」
「ああ、まさか以前は男だったなど、もう考えもつかないな。どこからどう見ても、立派なご婦人だ」
「妙齢のご婦人が、このような男臭い場所に……一輪の、空色の花が咲いたようだ……」
「わ、私は、オリジン様が男性だった頃から、あのお方のファンであった!」
「おまえは本物だ……!」
「俺だってそうだ! あの方が就任された時に、おまえたちも見ただろう?! 緊張のあまり真っ赤な顔をして、震えながらスピーチをした後、壇上の何もないところで足を引っ掛けて転んだ姿を……! 俺はあの時に、半泣きで謝り続けるあのお方のお力に少しでもなろうと……!」
「おまえも本物だ……!」
「同志よ!」
「わ、私だって……非力な我々の代わりに資材を運んで下さるあのお方の姿が……パ、パイプ運んでる時、上からだと、胸の谷間が見えるんだよ……!」
「馬鹿野郎! オリジンさまを汚すんじゃねえ! ……けど、俺も見てた」
「見てたんじゃねえか!」
「でもオリジンさま、あれは絶対代行さまのことが好きだよな……」
「そ、それは言うな……! 悲しくなるだろう!」
「代行さまも、オリジンさまだけにはなんていうか、さ……」
「ああ、素の顔というか。あのお方我々の前では「バーカ」とか仰らないもんな」
「いつもはもっと冷たい感じのお方だもんな……。なあ、あのお二人、結婚しちゃうってほんとかな……」
「な、なにー?! どこから出た話だ、それは」
「いや、街で聞いた」
「信じるな! いや、仮にそうだとしても、オリジンさまがお幸せなら我々は本望だ……! そうだろう?!」
「あのお方が人のものになっても、私は一生ついていくぞ」
「俺もだ。ていうかなんか人妻って響き、すごく……やばくないか……?」
「…………」
「…………」
「と、ともかくケーキを切り分けるぞ!」
「平等だぞ、平等!」
「わ、わかっている」
「ああ! おまえそれちょっと大きさ全然違うぞ!」
「いただき!」
「貴様あ!」








「オリジンリュウさまあ! 我々は、清楚で可憐過ぎるあなた様を愛しております……!」









◇◆◇◆◇








「ボッシュー?」
 セントラルに戻って、リュウはそのままボッシュの部屋に向かった。
 ドアをノックをしたが、返事はなかった。
 もしかして疲れて寝ちゃってるのかな、なんて思って、リュウはこっそりとドアノブを回した。
 鍵は掛かっていなかった。
「ボッシュ? 寝ちゃってる?」
 本当に寝てしまっていたなら返事なんてするはずもないのだが、リュウはおずおずと顔を出して、確認した。
 ボッシュはいなかった。
 部屋はいつもどおりで、いや、いつもより少しだけ片付いていた。
「もう、せっかく買ってきたのに」
 ぷう、と膨れて、リュウは困ったふうにタルトの箱を見た。
「冷めちゃったよ……」
 出来立てがうたい文句だった。
 確かにそれはとても美味しそうで、食事の種類に頓着のないリュウでも、特別に美味しそうだなあ、なんて思ったのだ。
「執務室かなあ……」
 リュウは呟いて、ボッシュの部屋の扉を、ぱたん、と閉めた。















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