どこへ行こうとか、そうはっきりとは決めていなかった。
だがどこか遠くへ――――空の果てまで歩いて行ってしまうのもいい。
強くなる方法なんてものは、昔からシンプルにひとつだけだった。
戦い、勝利し、ディクを殺せばいい。
長い街での生活で身体は鈍っているかもしれない。
まず、少しは勘を取り戻すべきだ。
ボッシュは森の中を歩いていた。
確か以前使っていたシェルターが、近くにあったはずだ。
今夜はそこで眠ればいい。
『……リュウ、追っ掛けてきてくれるかもしれないしね?』
チェトレがまだ未練がましそうに街の方に気をやりながら言ったが、ボッシュは返事をしなかった。
『あーあ、もういいよ。ちゃっちゃと気の済むようにやっちゃって。どうせ言い出したら聞かないんだからさあ』
面倒臭そうに肩を竦める気配があって、ボッシュの中の竜は納得したらしかった。
『じゃあはじめちゃうよ、いい?』
「さっさとやれ」
『うん、じゃあ前やった通りでいい?』
「ああ」
『そ。そんじゃ、はじめようか、特訓。言っとくけど、死なない程度には手加減してあげるけど、あとは知らないからね』
「いらねえよ、そんなもん」
『まあありがたく取っときなよ。条件は、おれから一本取ること。いいね?』
「余裕だ。言っとくが、さっさと帰りたいからって手を抜いたりするなよ」
『うー、わかったよ。じゃ、ボッシュ。おれにボコボコにされる前に、雑魚ディクに殺されないでね。行っくよお』
気楽な掛け声と一緒に、ボッシュの身体から、生命が半分零れ落ちた。
融合したドラゴンのものである。
青い光は瞬く間に膨れ上がり、固い鱗と鋭い爪、大きな翼を携えた一匹の巨大な竜の姿になった。
それは漆黒の身体をしていた。
薄く血管が浮き出ていて、その向こうに夜空が見える。透けているのだ。
それは大きな翼を広げ、震わせ、打ち下ろして、飛翔した。夜空へ。
『脆弱な人間よ、我が適格者よ――――我の元へ再び現れ、おまえは我が竜の身体に一太刀を加えることができるか? 我はなんかもうぶっちゃけさっさと終わらせて、姉上殿の元へ帰りたい。面倒臭いし、あまり遠くへは行かないから、そのつもりで覚悟を決めるがいい』
「……なんかオマエ、最近軽くないか?」
月の出ている方角へ、その黒い巨体は消えていった。
夜に紛れ、闇色の身体はすぐに溶けてしまった。
見付けるなら昼だろう、チェトレのあの身体は視界の悪い森の中では、完全に闇と同化してしまうはずだ。
「さて」
久方ぶりに鞘から獣剣を抜き、ボッシュはにやっと笑った。
「どうしたもんだか」
腹ごしらえが先か、それともさっさとシェルターを見付けて寝てしまうべきか。
どちらにしても構わない、今夜はもう休もう。
ボッシュがそうして、シェルターに足を向け掛けた矢先、微かだが、悲鳴が聞こえた。
「……?」
はっと反応して、ボッシュは振り向いた。
それは遠くから聞こえてきた。だが、すごい速度で移動しているようだ。
ぐるぐると回り込むように、声は短く何度も響いた。
ボッシュは、まさか、という思いを抱いて、悲鳴の発生源へ向かった。
「リュウ……?!」
まさか、追い掛けてきたんじゃないだろうか――――ほんの少し、期待をしていなかったと言えば嘘になる。
枯草の降り積もった土の上を駆けて、いくつも倒れた古木を踏み越え、ぐにゅっとグミエレメントを踏み付けにして――――透明だから、いまひとつどこにいるのかわからないのだ――――そうしていると、どんどん声は近くなってきた。
植物を踏み分けるリアルな音、その後にはいくつもの巨大な足音がする。
どうやらディクに襲われているらしい。
そう思い当たったのと同時に、木々の間から小さな塊が飛び出してきた。
「にゃーっ!!」
「ニーナ?!」
ボッシュはさすがに驚いて、目を丸くした。
何故こんなところに彼女がいるのかわからない。
ニーナは混乱しているようで、わき目もふらずに走ってきた。
その腕を掴んで引き止めてやって、ボッシュはニーナの両肩を掴んでがくがくと揺さ振った。
「オイ! なんでてめえがこんなとこにいるんだよ!!」
「あーボッシュ! 捕まえた!!」
「捕まってねえよ! なんだそりゃあ!?」
「さっさと戻ろうよ! リュウが泣いちゃうよ!」
「アホか! 俺は……」
はっとして、ボッシュはニーナを後ろに突き飛ばし、獣剣を構えた。
ニーナを追い掛けてきたディクが姿を現したのだ。
黒くて邪公を極端に大きくして、翼をくっつけたような生き物だ。
心なしか――――言えば、きっとあのドラゴンは躍起になって否定するだろうが――――チェトレに似ている。
「チッ! ったく……!」
突進を避け際に眉間にレイピアを突き刺して、それで一匹を仕留めた。
だが何匹群れているのか知れたものではない。
目の前で、二ーナが飛び出してきた辺りから、もう一匹顔を出すのが見えた。
「ニーナ! 休んでねえでオマエも働けよ。最強の魔法使いだろうが」
「あ……杖、忘れちゃった」
「アホか、この積み荷女! 武器を忘れる奴がどこにいる?!」
「しょ、しょうがないよ! 急いでたんだも……あー! ボッシュ、うしろ!!」
ニーナが焦った顔で指差して、ボッシュの背後を差した。
そこにあるものは、見なくても分かった。
背後からボッシュに襲いかかろうと、口を大きく開けて噛み付きにきたものの顎を下から突き刺し、抜きざまにもう一撃、今度は正確に心臓を狙う。
ニ匹目もそれで終わりだった。
ぽかんと口を開けているニーナに、オマエはもう今の内にさっさと帰れよと言い掛けたところで、ボッシュは異様な気配に気付いた。
ざわざわと何本もの足が地面を這って、近寄ってくるような音が聞こえる。
「う……」
ニーナは何故か顔を真っ青にしている。
「うな……む……!」
「数が多いな……めんどくさい」
どうやら血の匂いに引かれて、大きなムカデの群れがやってきたようだった。
これは地上固有の生物で、見た目はフナムシやサビクイに良く似ている。
足が異常に多く、平たく長い形状をしていて、伸縮しながら進むのだ。
黒っぽい身体が古木の陰から無数に姿を現して、黒い邪公に良く似たディクの死骸に群がった。
それは小さな山のようになって、中からは死肉を食む音が聞こえた。
餌がなくなれば、今度はこちらが襲われることになる。
「離れるぞ」
返事は聞かないまま、ボッシュは硬直しているニーナを砂袋でも抱えるようにして肩に担ぎ、その場を離れた。
「何しに来たんだ」
「…………」
「オマエ、夜は森に入るなってあれだけリュウが言ってたろ。聞いてなかったのか?」
「…………」
「オイ、返事は」
こつ、と小石をニーナの額にぶつけてやると、彼女ははっとして、あれもうどっか行った、と切羽詰まった顔をしてボッシュに訊いてきた。
「なに、オマエ。ムカデが苦手?」
「うー……そ、そんなことないも……」
「あ、オマエの後ろ」
「えっ!? や、やだやだやだ!」
「嘘」
「…………」
「やっぱり怖いんじゃないか」
「ボッシュなんか大嫌い」
「俺もオマエが大嫌いだよ」
「ふんだ」
「それで、どうやって帰るつもりだ。言っとくけど、送ってなんて行ってやらねえからな」
「そうじゃない、ボッシュを連れ戻しに来たのよ、ほら」
ニーナはまだぷうっと頬を膨らませたままだったが、ごそごそと懐から一枚の紙切れを取り出し、広げた。
そこにはこう書かれているはずだ――――
「しばらく出掛ける。もっと強くなる。――――その時は、必ず迎えに行く。」
ニーナは流暢に、それを読み上げた。
それはきっと、リュウにも読めるだろうくらい、簡単に書かれていた。
ボッシュは知っていた。
先ほどボッシュがリュウの部屋に置いてきたものだったのだから。
「リュウ、ボッシュがいないとまた泣いちゃうよ。可哀想だよ」
「……うるせえな。勝手に見るなよ。しかも、持って来るな」
「だいじょうぶ、今からわたしと帰れば書き置きなんてなくたって全然問題ないもの」
「……オマエ、その自己中どうにかしろよ。誰に似たんだか」
「自己中はボッシュでしょ」
「……死んでいいよ」
「死なないよ。リュウが泣くもの」
「どうだっていい、一人で帰れ。俺はやることがある。オマエの相手なんてしてる暇はないよ」
「どうしても、言うこと聞いてくれないの?」
もう、とニーナは溜息を吐いた。
「ちゃんと人の言うこと聞かないのは悪い子なのよって、リンが言ってた」
「ハイハイ、悪い子だよ。だからオマエの言うことなんて聞いてやらない。弱っちいくせにさ、生意気なんだよ」
「絶対連れて帰るんだから」
ニーナは半分意地になったような顔つきをしていた。
ボッシュを連れ戻すまで、街には絶対に帰らないという――――迷惑極まりない決心が見て取れた。
ボッシュは溜息を吐いた。
「で、どうなの。力ずくでも、とかまさか言い出すつもりか? オマエが? ムカデ怖いオマエが」
「こ、怖くなんてないもん! ただちょっと、気持ち悪いだけよ」
ニーナはむきになったように言って、そうして足元に落っこちていた手ごろな大きさの木の枝を拾って、ボッシュに向けた。
「……言うこと聞いてくれないなら、ほんとに「力ずく」しちゃうんだから」
リュウのためならニーナはそうするだろうな、とボッシュは達観しながらぼんやり考えた。
彼女はきっとリュウのためならなんでもするだろう。
勝ち目がないものに立ち向うことも、なんでも。
彼女は野生ディクみたいだった。
まったく調教されず、無礼極まりない。
だがリュウに対しては忠誠と言っても良いほどの親愛の情を抱いていた。
その部分に関しては、どうやら飼い慣らされているらしい。どうだっていいが。
「――――オマエ、そろそろ一回痛い目見たほうがいいよ。生意気」
ボッシュは肩を竦めて、お手上げの仕草をしながら、獣剣でとんとんと肩を叩いた。
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