街を出てから何日か、指折り数えて手が足りなくなった。
 半月ほどだろうか、時間の感覚が薄い。
 ディクの襲撃に神経を尖らせているせいだろうか。
 雑魚とは言え、今その大きな牙でもって肩に噛み付かれたら腕がもげるだろうし、踏み潰されればそれで終わりだ。
 あのドラゴンがいなければ、ボッシュは脆弱な人間だった。
 普段はそれを忘れがちだった。
 尖った植物の棘に引っ掛けて、いつのまにか裂けていた手の甲に消毒用の植物を擦り付けながら、ボッシュはふっと顔を上げた。
 どうやら、また来たようだ。
 ばちっ、と空間が帯電し、どん、という衝撃がきた。
「……!」
 この凶悪な破壊力は、バルハラーだ。
 大体はアブソリュードディフェンスで相殺できたはずだ。
 ダメージらしいダメージは受けていない。
 ボッシュが半歩下がると、上からぱきっと小さな物音が聞こえた。
 木の枝を揺すったような、そんな種類のものだ。
 一瞬おいて、ボッシュの頭上に何やら小さな塊が落っこちてきた。
 ボッシュは冷静に、足元の小石を拾ってそいつに投げ付けた。
 石つぶてが当たるなりそれは、ぼん、と弾けて爆発した。
 ミラージュ爆弾である。
 本物と勘違いして獣剣を突き上げていれば、彼女の思い通りになっていたことだろう。
「さて……」
 ボッシュは肩を竦め、すたすたと歩いて行って、ちょうど木の洞の窪みになっている辺りまで来ると、そこに見える金色の頭を蹴っ飛ばした。
「ほらよ」
「にゃーっ!」
 仕掛けてきた人間、ニーナはころころと転がって行って、べちゃっと地面に顔から倒れた。
 彼女は骨格からして軽いので、面白いくらいに良く飛ぶ。
 ボッシュは呆れてしまって、げんなりと彼女に告げた。
「もういい加減諦めろ、ウザイ。オマエが俺から一本取れるわきゃないだろ」
「取れるわ!」
「魔法の使用は許してやるが、カウントは剣のみ。ものすごい条件じゃないか。多分一生掛かっても無理だな」
「む、無理じゃないも……」
「つーかついてくんなよ。ストーカーかよ。オマエは帰ってリュウと仲良くやってろよ」
「……そうするけど、ボッシュも一緒に帰るの」
「まだそんなこと言ってるの、オマエ」
 お手上げの仕草と一緒に、どうしようもないね、と一瞥をくれてやって、ボッシュはニーナに背を向けて歩き出した。
「もう行く。ついてくんなよ」
「…………」
 思ったとおり、ニーナはボッシュの背後から剣に見立てたらしい木の枝を構えてやってきて――――そして、ボッシュに足を引っ掛けられてすっ転んだ。
「ハイ残念賞」
「うー……」
「ほらよ」
 適当に使い古しの薬草を放ってやって、ボッシュはそっけなく告げた。
「傷に塗っとけ。あと、もうついてくんな」
「うー……」
 ニーナはとても面白くなさそうな顔で、だがおとなしく言われた通りに擦り剥いてしまった膝小僧に薬汁を塗って、
「あ、言い忘れたがそれ、かなり染みるからな」
「ん――――!!」
 涙目で、じたばたした。









 夜が来た。
 森はいくつもの音でざわめいていた――――虫の声、鳥の寝惚け声、小さな動物が食用の虫を捕獲して、また闇の中へ隠れていくがさがさいう音。
「……オマエ、そんなとこで突っ立ってるとまたムカデが来るぞ」
「…………」
 いくらか集めてきた木の枝を燃やして、ボッシュはまだ闇の中にいるニーナに声を掛けてやった。
 何故彼女なんかを放っておかないのか、ボッシュは内心自分の気まぐれに首を傾げていたが、その理由についてはあまり心当たりが見つからなかった。
 しいて言えば、リュウが泣くから、くらい。
「怖いんだろ」
「……怖くないもん」
「あ、後ろに」
「……も、もうそんなこと言ったって、ムダよ。怖くないも……」
 ニーナはびくっとしたが、強がったふうに顔を強張らせ、怒ったように言った。
「大体ボッシュは、いつもそうやってリュウもわたしもみんなのこともいじめてばかりで……」
 そこで、木の幹に張り付いていた大きなムカデが、バランスを崩したのか、ぼて、と落っこちてきた。
 器用にも、二ーナのスカートの上にだ。
 ニーナは一瞬呆けていたが、ムカデがもぞもぞと動き出すと、思いっきり悲鳴を上げた。
「う、わー! ひゃあ、やだやだやだ、ちょっと取ってこれ、ボッシュー!」
「うるせえな。俺のことはほっといて帰るってんなら取ってやる」
「や、だー!! わあ、き、きもちわるいよ、やだやだもう、リュウー! た、たすけてえ!!」
 本気で泣きが入ってしまっているニーナに、ボッシュはちっと舌打ちをした。
 その名前を出されると、へんな気になってくるのだ……罪悪感といとおしさをないまぜにしたような。
 重い腰を上げて、じたばたしているニーナにくっついているムカデをひょいと摘み上げてやった。
「ローディ並に世話焼けるな、オマエ」
「う、うー……う、うなむじ……うなむじが……」
「……なんだ、うなむじって」
 良く分からない生き物の名前を呼ぶニーナに眉を顰めて(フナムシ、と言いたいのだろうか?)ボッシュはそうして、摘んだムカデを適当に放ってやった。
「ディクに食われたくなきゃ火のそばに寄れ。まあオマエがディクに食われようが、ムカデに食われようが、うなむじに食われようが俺は知ったこっちゃないがな」
「うー……」
 ニーナはすごすごと焚き火の近くに寄って行って、ちょこん、と座って、火に当たった。
 夜にもなれば、少し冷え込む。
 実際には、少し寒かったのかもしれない。
 ニーナはちょっとほっとした顔をしていた。
「ボッシュ、ごはんは……?」
「……それを俺に聞くか」
「ごはん……おなかへったな……」
「ムカデでも食うか」
「とってもいらない……」
「焼くと食えるぞ。なんとかな」
「……食べたことあるの?」
「何度か」
「……わたし、今ちょっとボッシュがもっと嫌いになったよ」
「それはどうも」
 ぐう、とニーナの腹が鳴った。
 ボッシュはふと顔を上げ、ニーナに訊いてみた。
「……そういやオマエ、何日メシ食ってないんだ?」
「……3日」
「俺は2日だ」
「……今、ムカデは食べなかったね」
「食ってもいいが、まずいからな。ハオチーの方がいくらかマシだ」
「……おなか、すいたね」
「いいアイデアはある」
「なに?」
「オマエが囮になって、ディクを誘き寄せろ。オマエが食われてる間に、俺は肉を調達する」
「ぜったいやだ」
「冗談だ。……この辺の森は食える実が少ないからな。下手なものを食ったら幻覚見るか、ひどけりゃ血反吐を吐いて死ぬぞ」
「え? そうなの? 良かったあ、食べなくて」
 ニーナは、何度か勇気を出して食べてみようと思ったの、と言った。
「でもとげとげしてたり、すごい臭いがしたりしたから。でもボッシュ、なんでそんなこと知ってるの?」
「…………」
「あ、ほんとはどれか、食べたことあるんでしょ。意地汚い、ボッシュ。犬みたい」
「うるせえな。食えるかも、って思ったんだ。もう黙れ、オマエ」
 おかしそうにくすくす笑い出したニーナに、ボッシュは不機嫌な顔をして、近くを這いずり回っていたムカデを掴んで、ニーナの顔に投げ付けた。
 悲鳴が上がった。














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