そうしてまた何日か過ぎた。
相変わらずニーナはボッシュの後ろをついてまわった――――奇妙な既視感を感じていたが、ボッシュは最近になってようやくその正体に気が付いた。
ボッシュを追い掛けて追い掛けて、ずうっと精一杯にようようについてきていた人間が、ひとりいたのだった。
文句も言わず、早いよ待ってよなんて一言も言わないまま、ずうっとついてくる――――ニーナはリュウによく似ていた。
まあ大きな違いといえば、ひとつだけだ。
「甘い」
「にゃーっ!」
こそこそとボッシュをロックオンし、メコムを放とうとしていたニーナの額を、鞘の先で小突いた。
彼女は後ろ向けにごろごろと転がって行って、目を回していた。
「……まったく」
リュウとニーナの違いといえば、この点がひとつきりだった。
それは大きな差だった。
リュウはボッシュの背後から斬りかかるなんてまずなかった。魔法もなしだ。
(そもそも、あいつ魔法使えなかったっけ。ひとつくらい覚えたって良いのに、まあバカだからしょうがないか)
ニーナは魔法に関しては優秀だった。
リュウのように弱いくせに剣を持ってディクに突っかかっていくこともなかった。
「おいニーナ。何寝てんだ。置いてくぞ」
「……わ、わたしは……ボッシュなんか知らないわ。わたしが、勝手に追い掛けてきてるんだもん」
「じゃあもう知らねえよ、アホ」
ボッシュは知らん顔をして、踵を返し歩き出した。
背後でニーナが起き上がり、小突かれた額を押さえながら、また慌てて小走りで追い掛けてくるのが見えた。
まったく懲りない奴だ。
そう思いながら、ボッシュはふと苦々しく顔を顰めた。
(……べつに、俺は意地になってる訳じゃ、ない……)
また孤独に浸り、余計なことを考えてしまうことを思えば、馬鹿なニーナとは言えいないよりましだ――――そう思い掛けて、ボッシュは緩く頭を振った。
そうじゃない。
もう少し集中するべきだ。
チェトレを探さなければ――――あの不精なドラゴンはそう遠くへは行かないと言った。
だが、ドラゴンの基準の「そう遠くない」は完全にあてにならないと、ボッシュは見ていた。
なにせ、奴らは空を飛ぶのだ。
チェトレはこの樹海のどこかにいるだろう。
退屈を紛らわす為に、眠りについているだろう。
背後にくっついてきているニーナをちらっと見遣って、ボッシュは考えた。
竜の共鳴反応を見つけたら、ねむりキノコでも食わせてシェルターに放り込んでおいた方が良いだろう。
はっきり言って邪魔になる。
――――別に、心配してやっている訳ではない。
怪我をさせたらきっとリュウが怒るか泣くかするだろうとか、そういうことじゃあない。
(くそ……ここまで来て、なんであいつのことばっかり考えてんだ、俺は・・…!)
忌々しく、ボッシュは舌打ちした。
ニーナはびっくりしたように立ち止まり、それから少し機嫌を損ねたふうな顔をして、またついてきた。
そうやって一月ほど経った、ある日のことだ。
ボッシュは珍しいものを見付けた。
いくつか簡易住居の枠が組まれ、パイプの束が開かれた僅かな土地の端に山になって積まれていた。
「人間か……?」
こんなところで、珍しい。
木々を抜けて顔を出して、ボッシュはそれらを観察した。
何人かの労働者――――制服はサードレンジャーのものだった――――が、高台に立って、遠くを見ている。
ディクを警戒しているのだろう。
がさがさとボッシュの後ろで葉が擦れ合う音がして、ニーナが顔を出した。
彼女もびっくりしたように目を丸くして、呟いた。
「あ、人」
「……見りゃわかる」
「あ……!」
ニーナはそうして、顔なじみでも見付けたのか、ぱあっと顔を明るくしてボッシュの横を摺り抜けていった。
「お店屋さんだ! こんにちは!」
ニーナに声を掛けられた三人の少女は、ちょっと顔を見合わせて、不満そうにぼやいた。
「名前くらい覚えてーな。アルマや」
「クリオや。確かに、お店屋さんやけどな……」
「ジャジュ……えーとアーセナルの。どうしたんですか?こんなとこで、えらい珍しい……」
彼女らは、訝っているようだった。
「あんた偉なったんちゃうん。こんなとこで何やってんの?」
「んー、いろいろ」
「あれ、そっちの男前、あんたの兄貴かなんかか? ていうか、昔下層でよぉ見た奴やん……」
「リュウと一緒におった子やん」
「ああ、あのクリオから値切る怖いもの知らずの偉そうな子か」
彼女らは和気藹々と喋くっていたが、やがて何人かレンジャーが道具を買い付けにやってくると、悪い、仕事中や、と言った。
「後でにして。なんなら、あんたもなんか買うてって」
「うん……あとできずセット、欲しい……」
「あんた金持ちなんやろ。これはどや、大全能薬とフルチャージAPのセット! 可愛らしいナゲットのお人形付きで2000ゼニーや、お得やでえ」
「うー……!」
「これは滅多に出回れへんもんでなあ……」
「あ、お兄さん、武器買うてって。今ならメーザー10%引きや! オリジン様も愛用の一品! オススメやで」
「足りてる。ていうか勝手にオリジンの名を軽々しく使うな」
「あれえ? あんた知らんの? うちら、オリジンとの付合いは割と長いことなんねんでー。リュウだけとちごて」
「知るか」
ボッシュは肩を竦めて、ニーナに忠告した。
「ニーナ。無駄遣いはやめとけ。そいつらは商売が上手いんだ、下手をすると呪いの壷とか買わされるぞ」
「失礼やなあ、そんなことせえへんって」
「でもボッシュ、ナゲットが……ナゲット、リュウも大好きなのよ。いつもごはんをあげて、大きく育てて――――」
「……ふーん」
「売るの」
「…………」
「でもいっつもリュウは愛着湧いちゃって、売るんならベッコのかわりにおれを売ってくれ!とか言って泣いちゃうの」
「…………」
「リュウが可哀想だから、いつもそのまま飼って……だから妖精さんが商売にならないようって怒るのよ」
「…………ふーん」
何とも言えずボッシュは頷いておいた。
ニーナは、懐かしいなあなんてにこにこしている。
「またナゲット飼いたいなあ……」
「勝手にすれば」
「ほんとに? セントラルで飼っていい?」
「あそこは駄目に決まってるだろ。ペットの連れ込みは禁止だ」
「でもクピト、ラスタとオンコット、連れて入ってるよ」
「……あいつ規則にはうるさいくせに、割と自分勝手だよな」
「でもラスタ、可愛いよねえ」
「リュウもオマエみたいなすぐ噛み付いてくる家畜、持ち込んでるし」
「わたしはペットじゃないよー!」
「どうでもいい」
ボッシュはそっけなく言ったが、ニーナは何が嬉しいのか、くすくすと笑いだした。
「……なにがおかしい」
「だってボッシュ、街に帰る気いっぱいなんだもん」
「…………」
「もう、早く帰ろうよ。リュウ、待ちくたびれてるよ。迎えに行くんでしょ? あれ? でも迎えにって、なんか言葉の使いかたへんだよボッシュ。ずうっとみんなであそこにいるんでしょ?」
「……ガキには分からねえんだよ」
「ガキじゃないよ」
「うるせえな……」
ボッシュは顔を顰めた。
どうも彼女はあまりものを考えていないようだ。
なにも考えずに、リュウと一緒にいられる存在だ。
そしてリュウもそれを許しているのだ。
(……俺は、嫉妬してなんかいないからな)
何も考えずにリュウと一緒にいられるということが、どんなに幸せなことなのか、この少女は知っているのだろうか?
ニーナはにこにこと底抜けに笑っている。
だが、彼女はちょっと顔を俯かせて、寂しそうに言った。
「でも、ねえ……もう、すごく長い間、リュウの顔見てない……」
きっとリュウ、心配してるだろうな、とニーナはぼそぼそと言った。
彼女も寂しいのだろう。
ボッシュは今更そんなことに気が付いて、なんだか馬鹿馬鹿しくなってしまった。
「……リュウも寂しいと思うか?」
「うん……わたしもボッシュもいないと、仕事も増えるし一人っきりだし、ぜったいさみしいよ。リュウ、もしかしたら今も泣いてるかも」
「…………」
「ボッシュ……ねえ、早く帰ろうよお……」
ニーナは、そろそろ耐えきれないようだった。
くしゅっと顔を顰めて、泣き出してしまったのだ。
その仕草は幼児みたいで、ボッシュはそれをからかってやろうとしたが、何となく気が進まなかった。
「……用事がある」
「それ、いつ終わるのお……?」
「じきに終わる。そしたら帰る。もうウザイから泣くな」
「ほ、ほんとにすぐ?」
「ああ、ていうか俺を疑うつもりか。嘘ついてるって?」
「う……いつものことだも……」
「……てめ」
「ふ、あはは……ねえ、も、帰ろうね、はやく……リュウに会いたい……」
「わかってる」
ボッシュは適当な仕草で頷いて、返事をした。
「すぐに――――」
ここからは、街は見えない。
ずうっと遠くの方にある。
ボッシュはなんとはなしにその方角を見遣りながら、ぼそぼそと呟いた。
「……すぐに終わるさ」
そうして、もうボッシュはリュウを泣かせることはないだろう。
生涯……は、無理だろうけれど、できるだけ。
今度は優しくしてやる。ちゃんと好きだって言ってやる。
しばらく顔を見ないだけで、くるおしいほどにいとおしい。
恋しいって言うんだろうか? ボッシュはげんなりしながら、自覚した。
悔しいが、リュウが好きだ。
ふと辺りが騒がしくなってきた。
森からぞろぞろと調査隊の一列が戻ってきた。
どうやらここは、彼らの中継地として機能しているらしい――――ガールズたちが探検隊にくっついてきて、ここで商売をはじめて、自然そうなったのだろう。
どれも一様にくたびれきった顔をして、簡易住居に入っていく者、地面に寝転がる者、クリオのところへきずセットを買いにくるもの、最近取扱いはじめたらしい酒を求めてくる者、いろいろだった。
彼らは見慣れない人間に気がついて、物珍しそうにボッシュとニーナに寄ってきた。
「よお、こんにちは。見慣れない顔だ。新人さんかい?」
「ガールズんとこのバイトかい? 兄妹で、ご苦労さん」
彼らはボッシュとニーナの顔を知らないようだった。
街の人間ではないのかもしれない。
「あんたら、街から来たのかい?」
「うん、そう……です」
ニーナが慣れない敬語でもって、頷いた。
どうやら人見知りするらしい彼女は、ボッシュの後ろに隠れてしまって、こっそりと顔だけ出している。
ボッシュはそこでようやく言われた意味を理解した。
兄妹。どうやらろくでもない勘違いをされているようだが、訂正するのも面倒で、何にも言わないままでいた。
「街かあ……ああ、一週間ほど前に物資の補給で往復したよ。ここからだと随分遠いが、いいとこだな。俺もそのうちあそこに住みたいよ」
「ああ、オリジンさま美人だったしなあ……」
「あ、おまえ、見たか?」
「見た見た」
「え? オリジンって男じゃなかったのか?」
「ばあか、ばりばりの、正真正銘のキレイなお姫様だよ。見た感じ上から、78、55、80だと……」
「いや、上も80はあっただろ」
「…………」
「ボ、ボッシュ!」
抜剣しそうになるボッシュの腕を、ニーナが慌てて押さえて止めた。
「……離せ」
「駄目よ! ねえボッシュ、ところでなにが上からなの?」
「……オマエは知らなくていいよ」
ニーナに吐き捨てて、ボッシュは不機嫌を全開に顔に出しながら、レンジャーらしい何人かの労働者に聞いた。
「……オイ。オリジンさま、お元気だった?」
「ああ。そう言えば、あんたらは街から来たんだってなあ。いいなあ、あんな綺麗なおねーさんが治める街ってのに住んでみたいよ」
「……どうも」
そう言って陽気に笑う男の胸元にくっついている身分証をちらっと覗いて、頭に入れておいた。
こいつらは、絶対に住民登録してやらない。
何も知らずに気のいいふうに笑って、その男は――――虎人だ、縞模様の尻尾が生えている――――ちょっと照れたふうに赤くなって、言ったのだった。
「あのお方、なんていうか、神秘的でさ……思わず見入っちゃったよ。不思議な方だよなあ、俺らみたいな下のもんにも分け隔てなく会って下さるんだ。マジだぜ?」
「…………」
あのリュウの形容詞に、神秘的ときた。
ボッシュは何とも言えず、聞いていた。
リュウはあの底抜けに明るい、馬鹿みたいな笑顔はもう見せていないのだろうか?
それはボッシュがいなくなったからなのだろうか。
そう思うと、なんだかむず痒いような気持ちだった。
だが、そんなことも知らずに、レンジャーはどこかうっとりと語ったのだった。
「ほんとに綺麗だったぜ。特に、あの人間じゃないくらいに綺麗な、宝石みたいな真っ赤な目がさ」
「ボッシュ? きゅ、急にどうしたの、ボッシュ!」
ニーナが戸惑ったように、それでもボッシュの後ろにくっついて、ばたばたとついてくる。
説明してやる気はない。
「オマエの望み通りにしてやる。街へ戻る」
「ど、どうしたの急に! うれしいんだけど一本まだだし、やることあったんじゃ」
「放置だ」
「ええええ?」
「だが、勘違いするな。様子を見るだけだ――――それだけだ」
言い訳がましく吐き捨てて、ボッシュは舌打ちした。
「アジーンが、何やってんだ……リュウはどうしたんだ?」
「リュ、リュウがどうかした、ボッシュ??」
「黙ってついてこい」
樹海に侵入しなければ――――拓かれた街道沿いに進めば、おおよそ四日ほどで街へ着くはずだ。
取り越し苦労ならいい。
だが、そうでなければ、――――嫌な予感が、不安がボッシュに染み込んできた。
滅多に人間に介入しないアジーンが表に出ている。
そうなると、想像できることはひとつきりだ。
「リュウ……!」
リュウに、何かあったのだ。
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