降り出した雨は夜半過ぎには嵐を呼び寄せた。
 点在しているシェルターを繋ぐように移動し――――空へ出てすぐのころ、辿った足跡でもあった――――今はこうして真っ暗なシェルターの中、僅かな携帯照明の明かりだけが、時折ちかちかと途切れながら瞬いていた。
 どうやら、そろそろ燃料が切れ掛けているらしい。
 外はひどい雨で、ごうごうと木々を打つ物音が閉じたシャッター越しにも大きく響いて聞こえた。
 リュウは怯えて小さくなってしまっていた。
 一緒にコートに包まって、ボッシュにぎゅうっと縋り付き、震えていた。
「こわいよ、ボッシュ……」
 雷が鳴り、落ち、地面が揺れるとリュウは泣きそうにか細い声でボッシュに救いを求めるのだった。
 ボッシュの腕の中で、その縋り付く手はあまりに弱く、小さく、あたたかだった。
「さむい……ね、もっとぎゅっとして……?」
「ほんとに怖がりだね、オマエ」
「うー……こわくないも……」
 リュウはちょっとふてくされてしまったように頬を膨らませたが、また遠くで雷鳴が轟き、シャッター越しの雨粒の音が一層大きくなると、小さな悲鳴を上げて震えた。
 ボッシュは穏やかな心地だった。
 こうやってリュウが卑屈さも罪悪感もなく純粋に庇護を求めることが、そして何より彼がボッシュに救いを求め、それを簡単に与えてやれるだろうことに、静かな満足が訪れていた。
 ボッシュはリュウの肩を抱き、その薄さに少し驚きながら、囁いてやった。
 彼に安堵を与えるだろう言葉を。
「……だいじょうぶだよ、リュウ。心配いらない……怖がることなんかなんにもない」
 ずうっと、こう言ってやりたかったのだ。
 優しくしてやりたかった。
「俺が守るよ」
 リュウは微かに不安そうな顔を上げて、ほんとにどこにもいかない、と訊いてきた。
「ああ、行かない」
「うん……」
 そうするとリュウはほっとした顔になって、ボッシュが言うんなら絶対だね、と微笑んだ。
 だがまた外で大きな物音が聞こえて、びくっと引き攣った。
「うう、でもボッシュ、お化けとか出てきたら……おれよりボッシュより大きいかいぶつが出てきたらさ、どうしよう?」
「大丈夫、大丈夫。ドラゴンは最強の生物だから、誰にも負けやしないよ」
「……ドラゴン……おれたちのことだよね? 前言ってたヒトとはどう違うの?」
 リュウは少し首を傾げて、話していると少し恐怖が紛れるのか、不思議そうに訊いてきた。
「前言っただろ。俺達はヒトじゃないよ。似てるけどさ、でも違うんだ。竜はもう2匹だけ、オマエと俺のふたりきりだ。……世界にさ」
「ねえ、ヒトって、どんな生き物……? こわい?」
 ちょっと不安そうに、リュウは思い描いたヒトの像を指折りながら上げた。
 それはつい笑ってしまうものばかりだった。
 例えば、角がある?牙はある?尻尾は生えてる?大きい小さい、何色?
 あとは、おれたちのこと食べる?だ。
 半分泣きそうな顔で、リュウはボッシュの答えを待っていた。
「……ああ。見たら、すぐ逃げなよ。オマエひとりくらい、頭から食べられちゃうよ」
「う、うー……ど、どんなかたち、してるの、それ?」
 いっぱいいるの、とリュウは不安そうな声で言った。
 ムカデとどっちが多い?
「俺達とすごく似てるよ。角が生えてるやつも、牙があるやつも、尻尾が生えてるやつもいる」
「似てるの?」
 リュウは、そうなんだ、と頷いて、ちょっと不安そうに、ボッシュはヒトじゃないよね、と訊いてきた。
「……おれのこと、食べたりしないよね?」
「食べるならとっくに食べてるよ」
「う、うん……怖いね……」
 リュウは震え上がってしまっていた。
 ボッシュはそれがおかしかったが、なんにも言わずにおいた。
 これだけ怖がらせておけばいいだろう、人間を見付けても、興味を示して寄っていくことはないはずだ。
 ごつ、と大きな音がした。
 ボッシュは顔を上げた。
 強い風で飛ばされてきた古木がぶつかったのかもしれない。
 折れた木がシャッターを叩いたのかもしれない。
 リュウは真っ青の顔色になって、どうしよう、と言った。
 涙を湛えた目は真っ赤に光っている。
 感情の色が濃い時に現れるものだ。最近は顕著だ。
 リュウはボッシュに対して感情をあからさまにしていた。
 隠さなかった。安堵しきっていた。
「ヒ、ヒトが来たかなあ……」
「だいじょうぶだよ、リュウ」
「おれたち、食べにきてないよね? なんにもわるいことしてないもんね……」
「心配ない、ここには誰も来ない。……オマエはもう誰にも触らせやしないよ」
 ボッシュはふっと微笑し、リュウの髪を梳いた。
「俺のだから」
「お、おれのこと、置いてひとりで逃げたらだめだよ」
「逃げやしないさ」
 くっくっと笑って、ボッシュはリュウを抱き締めた。
「信じなよ。オマエに触る他のものみんな、俺の敵だ。言ったろ、オマエは俺が守るよ」
「ほ、ほんとにほんとだからね」
「ほんとだよ。……かわいい、リュウ」
 リュウの唇を啄ばんで、彼を地面にゆっくりと横たえ、ボッシュはリュウに覆い被さった。
 リュウは変な顔をしていた。
 手を伸ばして、ボッシュの髪を引き、なにやってんの、と不思議そうに訊いた。
「ボッシュ? どうしたの……?」
「リュウ……」
 着せてやったぶかぶかのシャツをはだけると、かたちの良い乳房が暗がりに白く浮き出た。
 顔を埋めてつと舐めると、リュウがくすくす笑った。
「くすぐったいよお」
 ぴくっと震えて、笑いながら、リュウはボッシュの髪をつんと引っ張った。
「いて」
 こら、と胸に噛み付いてやると、リュウは子供のようにひゃあと首を竦めた。
 手首を掴んで、手を繋いで、リュウの首筋を柔らかく噛んで、唇に何度もキスを落とした。
 なんかへんだね、とリュウが言った。
「どうしたの? あ、わかった。ボッシュもヒト、怖いでしょ。だいじょうぶ、おれも怖――――じゃなくって、おれが守ってあげるからね!」
「真似すんなよ。怖くないさ。……俺は……」
 ボッシュはリュウの首筋に顔を埋め、苦笑した。
「俺はオマエにまたひどいことしちまわないかってさ……また泣かしやしないかってのが、怖いよ」
「……? おれ、ボッシュにひどいこと、されてないよ?」
 リュウはなんにもわかってない顔で、きょとんと言った。
「怖がらないで、だいじょうぶ。ボッシュ、なんにもひどくないよ」
「……覚えてないんだよ、オマエ。……バカだから、さあ」
「うー……。そうなの?」
「そう」
「そうなんだ……何されたんだろ。でもいいよ、「ごめんなさい」したら許してあげる」
 リュウはにこっと笑って、子供特有の無邪気さで言うのだった。
 ボッシュはつられて微かに笑った。
「……ゴメンナサイ」
「ん。許してあげる。これで大丈夫だよ。なんにも怖いことないよ、ボッシュ」
 リュウはくすくす笑いながら、ボッシュの頭をぎゅうっと抱き締めた。
 柔らかい胸が、小さな身体が、密着して、あたたかかった。
 リュウは生きてる。
「……でも多分、思い出したらオマエはまた泣くよ」
「もう、男に二言はない! ……だっけ? うん、だいじょうぶだよ」
 リュウは笑った。
「泣いたらまた「ごめんなさい」って言ってよ、そしたらまた許してあげるよ」
「……リュウは、やさしいな?」
「えへへ、誉められた?」
「いや、ちょっと馬鹿にした」
「もう!」
 リュウはぷうっと膨れて、もう知らないよ、と言った。
「意地悪だよ、ボッシュ」
「ハイハイ、悪い、スマン、ゴメンナサイ」
「うー、なんかあんまり許せない「ごめんなさい」だよ……」
 リュウは膨れ面のまま、ボッシュからぷいっと顔を背けた。
「ボッシュのバカ。キライ」
「好きだよ、リュウ」
「……ほんとに?」
「ほんとにほんと」
「……じゃあ、えと、おれもすきだよ」
 ボッシュはくすっと笑って、リュウの頬にちゅ、とキスをした。
「機嫌、直った?」
「……まだちょっと怒ってるもん」
 リュウの身体に、胸に、ぎゅっと額を押し付けて、彼を抱き締めた。
 柔らかかった。
「ねえ、ボッシュ?」
「なに、リュウ」
「ねえ、なんで裸で触りっこなんかするの? 寒くない?」
「こうしてると安心するよ、リュウ」
 ボッシュは目を瞑り、リュウの胸に耳を当てた。
「心臓の、音がさ……」
 しばらくそうして、沈黙が落ちた。
 リュウは少し居心地悪そうな顔をして、やがて少し気後れしがちに口を開いた。
「あのね、ボッシュ……さっき、キライなんて言って、ごめんね……」
「もう言わない?」
「ん、言わないね。ごめんね……」
 リュウはきゅっとボッシュの背を抱き、心臓の音、と言った。
「きこえる?」
「ん」
「きもちい?」
「ああ」
「ねえ、なんでおれとボッシュの身体って、こんなに違うのかなあ」
 リュウは心底不思議そうに、ボッシュと自分の身体とを見比べ、言った。
 彼には、大層それが不満であるらしかった。
「おれ、ちっちゃいよ。ふにょふにょしてるしさ……なんか変だよ」
 ボッシュみたいに強そうじゃないよ、とリュウは言った。
「ねえ、なんでだろ……おれ、がんばったらボッシュみたいになれる? 強くなれる?」
「無理」
「うー……」
 即答してやると、リュウは項垂れ、不満そうに唸った。
「なんでだろ……」
「そのままでいろよ。せっかく可愛いんだからさあ。……まあ、男でもなんでもいいんだけど」
 ボッシュはリュウの身体を眺めて、言った。
「胸、気持ちいいし」
「……? ここ、触るのすき、ボッシュ?」
「好き」
 頷いてリュウの胸を揉んでやると、彼はくすくす笑った。
「だ、だからダメだったら、もう、くすぐったいよお!」
「くすぐったいだけ?」
「うん、……?」
 リュウはきょとんとして、無邪気な顔で、ボッシュを見上げた。
 暗がりだが、彼の顔は良く見えた。
 可愛い顔には、今はあどけないものが宿っていた。
 不安も恐怖も全てそこからボッシュが救ってくれると、今のリュウは無心に信じきっているのだ。














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