居心地悪かった。
 シェルターの中、ボッシュが二体のヒトと睨み合って座っていて、彼の背中の後ろに隠れているリュウはどうすれば良いのかわからず、目線をふらふらさせていた。
 時折、ヒトの片方――――頭の上にふさふさの耳があって、尻尾が生えているほうのヒトが、リュウと目が合うと困ったふうにちょっと笑った。
 その度にリュウはびくっとして、ボッシュの背中にきゅっと引っ込んだ。
(ね、ねえ?)
 リュウはきゅっきゅっとボッシュの髪の先っぽを引いて、どうしようボッシュ、と途方に暮れた顔をした。
(ヒト、おれたち食べるかなあ? なんでなんにもしないの?)
(油断させて食っちまおうとしてるんだよ)
(ひゃ……!)
 リュウは首を竦めて、ボッシュにぎゅうっと抱き付いた。
 すると呆れたふうに、尻尾の生えたヒトが言った。
「……変なこと吹き込むんじゃないよ。見な、震えてるじゃないか」
「う、うー……」
 指差されて、リュウは涙目でボッシュにいよいよ強く抱き付いた。
 すごく怖かったが、ボッシュは全然平気そうな顔をしている。
 ヒトが怖くないのだろうか?
 リュウは恐る恐る、そおっとボッシュの肩から顔を出して、おずおずとそれらを観察した。
 ヒトはふたつともがリュウの方をなんだか変な目で見ていた――――心配そうな。
 リュウはちょっと勇気を出して、それに話し掛けた。
 言葉はちゃんと通じるみたいだったし。一応。
「あ、あのね!」
 リュウはぶるぶる震えそうになるのを必死に我慢しながら、言った。
 あんまりの恐怖に涙までじわっと浮いてきた。
 だが、精一杯の勇気を振り絞った。
「あのね、ボ、ボッシュ食べちゃ、だめなんだからね……お、おれも、おいしくないよお……」
 食べないで、とリュウは懇願した。
 ヒトが言うことを聞いてくれるかどうかは、あまり自信がなかったが。
「ど、どうしても、食べちゃうなら、おれから食べて。ボッシュ、食べちゃだめ……」
 涙がぽろぽろ零れてきた。
 それを見たヒトはぎょっとした顔になって、慌てて手を伸ばしたが、ボッシュが阻んで届かなかった。
「触るな」
「ああもう、あんたいい加減にしなよ。リュウ、泣くんじゃないよ……。食べやしないさ、あんたも、ボッシュも。大体土下座されたってこんなマズそうな代行なんて食べたくもないよ」
「う……ほ、ほんとお?」
「ほんとほんと。ほんとにほんとうさ。私は嘘はつかないよ」
「うー……」
 リュウは安心してしまって、また泣けてきた。
 そのべたべたの顔のまま、あ、と気が付いて、さっきから黙りっぱなしのもうひとりのヒトを見た。
 つんつんした頭のヒトだ。なんでかずうっと、リュウの太腿のあたりを見ている。
「……? あのね、おにいちゃんは? たべない? いたいこと、しない?」
「オイ、「おにいちゃん」だってよ、リン! やっぱリュウは素直だよなあ」
「……それで喜んでるとこがもうヤバいよ。ていうか……あんた、どこ見てんだいちょっと」
「いや、こう、見えそうで見えない絶対空間が……」
「わけわかんないこと言ってんじゃないよ」
「いやあ、しかしボッシュ君。裸にサイズ大き目の男物のシャツ! なかなかマニアックな趣味をしてるじゃあないか。気が合いそうだ。尻仲間にしてやろう」
「ふざけんな。これしかなかったんだよ。いかがわしい目をリュウに向けるんじゃねえ。……あと、俺は胸のほうが好みだ」
「……あんたたち、子供の前で妙な話をするんじゃないよ」
 額を押さえて、尻尾の生えたヒトが、やめなよもう、と言った。
「……? なんのはなし? ねえボッシュ」
「なんでもないよ、リュウ」
「うー」
 袖を引きながら聞いても、ボッシュは何にも答えてくれなかった。
 リュウはちょっとぷうっと膨れて、もういいもん、とふてくされた。
「どうせおれ、バカだもん……」
「ハイハイ、怒るな。機嫌直せ」
「あそんでくれる?」
「あとでな」
「うー」
 ボッシュはいつもみたいにリュウに構ってくれない。
 ちょっと面白くなかったが、リュウは少しばかりほっとしていた。
 この「ヒト」たちはどうやら、危険じゃない「ヒト」らしい。
 ボッシュが平気そうな顔をしているし、何よりリュウとボッシュのことを知っているようだった。
 尻尾が生えたヒトのほうはリュウと視線が合えばにこっと微笑んでくれたし、とげとげしたほうのヒトは……なんだかずーっとにやにやしてて、良くわからない。
 そうしていると、ボッシュが言った。
――――で、何の用なんだっけ?」
「言ったろ。連れ戻しにきたんだよ」
「……俺らのことはほっとけよ。人間どものことなんて知ったこっちゃない。竜は竜でやるさ」
「まあ、そうしてやりたいのはやまやまなんだけどね。リュウがいないと、私達の大事なあの子が泣くんだ。わかるだろう? 私はそんなのほっとけやしない。首に縄つけてでも連れ戻すよ」
「……オマエら、仕事は?」
「2日ばかり、オリジン捜索。これが仕事だよ。あの子には内緒だ。あんたたちのことは、共同体で捜索願を出していたから……雨を待って、連れてきてもらった」
「もうオリジンじゃない。リュウはなんにも知らない」
「……おりじん、てなに? ボッシュ?」
「……ちょっと黙ってな、リュウ。あとで遊んでやるから」
「うー……」
「じゃあ暇してる間、お兄さんと遊ぼうか、リュウ?」
「バカなこと言ってないであんたも何とか言ってやりなよ。何がなんでも連れて帰らなきゃならない。でも力ずくではかなう訳もない。口で丸め込むしかないじゃないか」
「……それ本人の前で言うなよ、巨乳」
「うるさいね。聞き分けのない子は嫌いだよ、代行。私にはリンって名前があるんだ」
 怒ったみたいに、尻尾の生えたヒトはボッシュを睨んだ。
「……大体今はそんなになっちまってるけど、リュウがいつか全部思い出した時に、その子、どうなると思ってるんだい? また泣くよ。大事なあの子をほったらかしてきたってさ、リュウ、責任感だけは人一倍あるんだ。それにあの子を愛してる。私みたいにさ。一人占めなんて子供っぽいことはいい加減やめな。その子はその子で、あんたの物じゃない」
「……リュウは、俺のものだ」
「……ほんっと、バカだね、代行」
 はあっ、とどうしようもないふうに、尻尾の生えたヒトが溜息を吐いた。
 何を言っているのかは分からなかったが、どうやらボッシュがひどいことを言われているらしい、というのは、リュウにもわかった。
 だからおずおずとボッシュの前に出て、いつも彼がそうしてくれるように背中で庇ってあげた。
「お、お姉ちゃん、いじめちゃ、だめだよ……いじわる言っちゃだめ。ボッシュ、かわいそうだよ」
 リュウもひどいことをされるのだろうか、とちょっと強張っていたが、そのヒトはどうやらリュウにはひどいことをする気はないようで、ちょっと困ったみたいに笑った。
「……あんたは、ほんとにいい子なんだけどね。でも、リュウ。友達なら、たまには怒ってやりなよ。ひどいことして、いっつも泣かされてばっかりで、あんただって十分そいつにひどいこと言ってやる権利はあるんだ。アホの言いなりになることはないよ」
「……? ボッシュ、ひどくないもん。やさしいもん」
「ああ……はーん」
「……その目、やめろ、巨乳」
 リュウは、なんだかすごい誤解を受けているらしかった――――なんだかボッシュがリュウをいじめて、ひどいことばっかりされているみたいな。
「それに、おれとボッシュは友達じゃないってボッシュが言ってたもん」
「……あんた、代行、まだそんなこと言ってんのかい?」
 呆れたような顔をしたヒトに、リュウはちゃんと教えてあげた。
 間違ってないことを。
「おれ、ボッシュのお嫁さんなんだ。だから友達よりずうっと一緒にいられるんだ」
「…………」
「うわ……アイター……」
 ヒトたちの顔は、急に沈痛味を帯びた。
 それが何でだかは、知らなかったが――――見るとボッシュも真っ赤な顔をしている。
 なんでだろう、とリュウは不安になった。
 間違ったことを言ってしまったろうか?
「ボッシュ、おれ、お嫁さんでいいんだよね? ずうっといっしょにいるよね?」
「……ああ、いるよ、リュウ。偉いな」
「うん……」
 リュウはなんだか、ボッシュが恥ずかしそうに頷くものだから、自分も恥ずかしくなってしまって、ボッシュの後ろに引っ込んだ。
「……は、はずかしい、かなあ……?」
「いいか、リュウ。そういうのは、俺以外の前で言っちゃダメなんだぞ」
「あ、そ、そうだったの? おれ知らなかった……ごめんね……」
「いや、いいんだけどさ」
 ボッシュは照れ隠しをするみたいにこほっとひとつ咳をして、なんでもいいけど、と言って、またヒトに顔を向けた。
「帰らないよ」
「まだそんな家出した子供みたいなこと言ってんのかい……」
 尻尾の生えたヒトの方は呆れてしまったように、頭を抱えていた。
「できれば、私もお幸せに暮らしてもらいたいもんだけどねえ?」
「気にすんなよ、二人共。リンさあ、割とほら、若者同士の恋愛に嫉妬とか羨望とかそんな感じの……」
「そ、そんなわきゃないだろ?! なんだい、人を行き遅れか何かみたいに」
「いや、そんなこと言ってねえだろ。まあ、ともかく――――リュウ」
 さっきまで黙ってじいっと見ているだけだったツンツンした頭のヒトが、ふいに懐から奇妙なものを取り出した。
 細長い棒の先っぽに、くるくると渦を巻いたかたちの、カラフルで綺麗な……なんだろうか?
「これ、やろう」
「……う」
 リュウが興味深々だということを知っているんだというふうに、ヒトはにやっと笑って、ほらよ、とそれを差し出した。
 リュウもおずおずと手を伸ばして、受け取って――――それは綺麗な色をしていた。
 透き通って、暗闇の中のかすかな明かりにきらきらと輝いている。
 甘い匂いがした。これはなんだろう?
「舐めてみろ」
「……ん」
 言われるままに舐めてみた。
 やっぱり、匂いとおんなじくらい、甘い。
「おいしい! 甘い! キレイだよー!」
「だろー? 気に入ったか、リュウ」
「うん!」
 にこおっ、とリュウは笑った。
 こんなキレイで美味しいものをくれるなんて、意地悪も言わないし、にこにこしてるし、このとんがり頭のヒトはすごくいいヒトみたいだ。
「そりゃあ「棒付きキャンディ」って言うんだけどな。いやあ、今はこれ一本きりしかないんだけどなあ。街に帰ったらもっとたくさんあるんだぜ?」
「ほ、ほんとお? マチってなに?」
「すごーく楽しいところだ。キャンディもケーキもプリンも甘いものいっぱい、夢の国だ。それが全部おまえのためにあるんだ。食べ放題だ。お姫様になれちゃうぞ。あー、すごくいいとこなんだけどなあ」
「う、うー……!」
「今なら可愛いリュウちゃんを特別に連れてってやってもいいんだけどなあ。ついでにそこのボッシュ君もつけて。どーしよっかなあ。どうだ、ん? 行ってみたいか?」
「い、行くー!」
 わあ、とリュウは大喜びではしゃぎながら頷いた。
 ほんとにそんなすごいところがあるなんて、ボッシュもきっと喜ぶに違いない。
「ねー! すごいねー、ボッシュー!!」
「…………」
 きらきらした目で振り向くと、ボッシュともう一人のヒトは、なんでかすごく暗い顔をして俯いていた。
 なんでだろう?
 こんなにすごいことなのに、あんまりボッシュは嬉しくなさそうだ。
「……ジェズイット……あんたそりゃあ、完全に幼女誘拐の手口だよ……」
「ぐあっ、オイオイ! そりゃねーだろ! 代行に言うこと聞かせるのは無理そうだから、まずはリュウをオトしてやろうと思ったこの俺の頭脳プレーを誉めるとこだろ、ここは?!」
「オッサン、オマエマジで終わってるよ……よりによって幼女に手を出したら終わりだろ」
「うーん、頭の中が幼児の二代目に手を出す君には、お兄さん言われたくないなあ」
「あんた、まさか実践はしてないだろうね?」
「信用ねえなあ」
「え? ……あれっ? 嘘なの?」
「嘘じゃないさ、リュウちゃん。魔法の国だ。美味しいものがいっぱいあるぞお」
「えへへ、たのしみだねー……」
 リュウはにこにこしながら、わ、と手を叩いた。
「あ、あのね、ナゲットもいっぱいいる?」
「ああ、いるぞ。うようよいるぞ。もーほんとウザいくらい」
「わーい!」
 大はしゃぎのリュウだったが、なんだかボッシュが疲れた顔をして、オマエちょっと出てろ、と言ったので、しゅんとしてしまった。
「え……? おれ、じゃま?」
「邪魔じゃない……が、大人のお話だよ。オマエきっと面白くないだろ。外で遊んでなよ、リュウ」
「う……ボッシュ、いっしょじゃなきゃ、やだあ……」
「我侭言うなよ。後でちゃんと相手してやるからさ。リュウは、いい子だよな?」
「う……うー、うん……。いい子にしてる……がんばる……」
「じゃ、ほら、行った行った。あんまり遠くに行くんじゃないぞ。近くで釣りでもしてろ」
「うん……」
 リュウはしょんぼりしながら、立ち上がって、ふらふらと階段を上り、シャッターを開けた。
 そして振り返って、ちょっとだけにこっと笑った。
「ボッシュ、おれ、あそんでくるね……あとであそんで、ぜったいだよ?」
「ハイハイ、了解ですよ、オヒメサマ」
 ひらひら手を振って、ボッシュが応えた。
 リュウはにこおっとして、さっきのヒトたちに念押しをした。
「お兄ちゃん、ぜったい連れてってね!」
「おう、任せろリュウちゃん。俺は可愛い女の子に嘘はつかん」
「お姉ちゃん、あのね、ボッシュいじめちゃダメだよ?」
「……はいはい、あんたが言うなら、いじめないよ。ごめんね」
「……うん」
 なんだか複雑な気持ちだったが、リュウはにっこりして、外へ出た。














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