眩しい。やっと雨雲はどこかへ行ってしまって、まだ湿り気は残っていたが、おおむね光が射し込んで、辺りを照らしていた。
 外に出たってすることなんかない。
 ボッシュがいなければ、一人で、何も楽しいことはなかった。
 そしてほんとうのところ、リュウはちょっと怒っていたのだ――――邪魔っけのお荷物みたいな扱いをされたことが。
 確かにリュウはあんまり頭が良くなかったが、だからって仲間外れにしていいってことはないはずだ、うん。
「ボッシュのばかあ……」
 もしかしたらこのままリュウを放ったまま、ボッシュはヒトと一緒にどこかへ行ってしまうんじゃないかとか、あのトンガリ頭のヒトが言っていたような夢の国に……リュウだけ連れて行ってもらえないんじゃないかとか。
 心配ばかりがぐるぐると回って、リュウの気分を塞いでいた。
 なんだか、ボッシュがリュウのほかの誰かと話していると、すごく面白くない。
 ずうっとふたりきりだったのに、なんだかヒトたちと一緒にボッシュが遠いところに行ってしまうような、そんな気がするのだ。
 リュウをこんな気分にさせるなんて、ボッシュは悪い子だ。
 後でちゃんと怒ってやらなければならない。額を小突いて、め、としてやるのだ。
 お仕置きもしてやらなきゃならない。
 二人だけで、リュウに「きもちいこと」をしなきゃならないのだ。
「うー、バカ、バカ、嫌いになっちゃうもん……」
 シャッターに立て掛けておいた釣り竿を取って、すぐ目の前に出来ている雨の湖に糸を垂らした。
 小さな魚が時折光を受けて、きらっと輝いた。
 それは少しばかりリュウの気を晴らしてくれたが、いかんせんまったく釣れない。
 やっぱりリュウのお手製の即席の竿がいけないのかもしれない。
 今度ボッシュにもっとちゃんとしたものを作ってもらおう。
 ボッシュは器用なので、きっとリュウよりずっと上手く作ってくれるだろう。
「…………」
 それにしても、ほんとに釣れない。
 餌が悪いのかもしれない。
 木の葉っぱなんてやっぱり魚は食べないだろうか?
 みみずでも探したほうがいいだろうか?
 それでもやっぱり、グミフィッシュしか釣れないだろうか。
 リュウはさっさと諦めて、他の釣り場を探すことにした。
 別にリュウが下手なわけじゃない。……と思う。
 遠くに行くな、危ないぞ、とボッシュは言っていたが、
「……知らないもん」
 リュウはふてくされながら、竿を肩に担いで立ち上がった。
「ボッシュのばかあ……遠くに、行っちゃうんだもん……」
 振り返ってシャッターに向かって、リュウはぼそぼそ言ってみた……が、ボッシュの返事はなかった。
 中でヒトとお話をしているのだ。
 リュウをほったらかしにして。
「ほ、ほんとにほんとに、遠くに遊びに行っちゃうよ。帰って、こないんだから……」
 ちょっと必死になって、リュウは言ってみた。
 でもボッシュは出てこなかったし、リュウにちゃんと「ごめんなさい」もなかった。
「も、もう会えないんだから……うー」
 自分で言って、想像して、泣けてきた。
 ボッシュに会えないのは嫌だった。
 だけどリュウは怒っていた。
 ボッシュを心配させて、ごめんなさいをさせてやらなければ気が済まない。
 それまで許してやらない。
「む、迎えにくるまで、帰ってあげないんだも……」
 めそめそ泣きながら、リュウは歩き出した。
 ボッシュなんて、リュウがいなくなって寂しくて泣いちゃえば良いのだ。
 ……ほんとに泣いちゃったらボッシュが可哀想なので、ちゃんと、泣かないで、って言ってあげるのだけど。







◇◆◇◆◇







「しっかし、驚いたね。もう二度と、あの子が笑って、声が聞けるなんて思わなかったよ」
 なんとも複雑な顔で、リンが言った。
「それにしてもアレ、俺たちのことは全然わかんないみたいだな……寂しいこった」
「なんか、ああしてるとあの子、ニーナにそっくりだよ」
「全然違う」
 ボッシュは顔を顰めて、否定した。
 リュウはあんなのと似てなんかいやしない。
「……あのガキが来なかったのか。珍しいな。リュウのことになると、一番にすっ飛んできやがると思ったんだが?」
「あの子はあの子なりに一生懸命なんだよ。リュウが帰ってきた時のためにさ、毎日頑張ってる」
 リンは肩を竦め、疲れたように言った。
「オリジンとして」
「……は?」
 変なことを聞いて、ボッシュは眉を顰めた。
「……誰が?」
「ニーナが、さ」
「それ、何の冗談? 面白くねえぞ」
「いや、マジマジ。代行だよニーナ。オリジンと代行が揃って行方不明なんかになっちまうからさ」
「ほんとにいっぱいいっぱいだよ。リュウにはどうしても戻ってきてもらわなきゃならない。ついでに、あんたも」
「……知らない」
「ちょっとあんた、いい加減にしなよ、代行……。リュウがいないとニーナが泣くんだ。あんた、リュウがどれだけニーナを大事にしてるか知ってるだろう? ……まあ、あんたが、どれだけリュウを大事にしてやってるかも、なんか知りたくないとこまで……その、知っちゃった、感じだけど」
「今のあいつ、連れて帰ったってしょうがないだろ。ほっときなよ。ニーナのこともわかりゃしないって」
 ボッシュは無表情で、そっけなく、告げた。
「俺たちは行くよ。空へ、果てへ……空を、見に行くんだ」
「じゃあニーナも連れてってやりなよ! リュウと一緒にさ……いや、もういい。頼まないよ。勝手についてくよ、私が、ニーナも連れてさ……」
「リン、最初の目的から思いっきりズレてるぞ」
「あ……そ、そうだった。ああもう、ほんとは私らだってこんな面倒臭いメンバーなんて仕事はやってられないってのに」
「俺だって辞めて面白おかしくお姉ちゃんのお尻を触って暮らしたい。が、イロイロ我慢してるんだぞ。それが大人ってもんだ」
「あんたぜんっぜん我慢ってもんが効いてないくせに、良く言うよ」
 軽くジェズイットを睨んで、リンが、ともかく、と強く言った。
「帰っておいでよ。ほんとにさ。みんな待ってるよ。リュウを……あんたもさ」
「…………」
 ボッシュは答えず、立ち上がって、ただそっけなく一言だけ告げた。
「……オリジンは、もう世界のどこにもいやしないよ。俺が壊した。もう元には戻らない」
 シャッターを開けた。
 光が射し込んできた。
 眩しさに目を眇めながら、ボッシュは静かに言った。
「戻らないんだ。リュウは帰って来ない。……そう思ってたけど、あいつ目を覚ました。……なんにも、憶えてなかったよ。最初は言葉すらなかった。だが、俺は――――
 振り返って、二人を見た。
 逆光できっと表情は見えないだろう、それが救いだ。
 どんなに情けない顔をしているものだか知れたものではない。
 できる限りのポーカーフェイスで、ボッシュは言った。
「今度こそ、あいつを守る。他の誰にも触らせない。空の果てを、見せてやるんだ。最後に会った時に、きっと綺麗だって言ってたからさ」
 外はもう綺麗に晴れていた。
 木々の間から光が射し込んで、ちらちらと影が揺れている。
 ボッシュはリュウを呼んだ。
 ふたりで、どこまででも行くのだ。そう決めた。
「リュウ?」
 近くにいるはずだ。
 あまり遠くへは行くなと言い付けてあった。
 リュウは聞き分けは良かったし、彼は臆病だったので、地上の危険さを良く理解していた。
 だが姿が見えない。
 ボッシュは少しの不安を感じ、焦燥した。
「リュウ、どこだ?」
 見渡して、そのどこにもリュウの姿は見えなかった。














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