急に目の前にヒトが現れた。
 どこから入ってきたのだろう?
 それともリュウとおんなじで、上から落っこちてきたのだろうか?
 リュウはびっくりして目をぱちぱちとしていたが、はっとして、慌てて頭を押さえてぎゅうっと目を瞑った。
「お、お、おれ、食べてもおいしくないよー……!」
 ヒトだ。リュウを頭から食ってしまうというヒトだ。
 さっきのふたりのヒトは優しかったが、きっとあれは特別に違いない。
 ボッシュの『トモダチ』なんだと思う。
「ひ、ヒト、でしょ? おれのこと、食べちゃうでしょ……?」
 リュウはおどおどとその「ヒト」らしきものを見上げたが、彼は驚いたことにゆるゆる首を振って、言った。
「……おまえと、同じだ……竜よ」
「りゅ、りゅ?」
 それで、リュウはまたびっくりしてしまった。
「えー、嘘だあ……。 竜、もうおれとボッシュのふたりきりだってボッシュが言ってた!」
「チェトレか……。確かに、そうだ。私は死者だ……この地上に、竜はおまえたち二人だけだろう」
「ふーん……ねえ、死者ってなに? おしごと?」
「……もういない人間のことだよ」
「でも、いるよ? ふふ、へんなのお」
 くすくす笑って、リュウはほっとしてしまった。
 どうやら悪い人……竜だっけ?では、ないみたいだ。
「立てるか?」
「うー」
 リュウは俯いて、ふるふる首を振った。
 くじいてしまった足が痛くて、立ち上がれそうもない。
「たてない、いたい……」
「自分の足で立ち上がり、歩いて行くがいい……おまえならそうするだろう。私は道を示すだけだ……死者らしく」
 そう言って、その竜は背中を向けて、行ってしまった。
 リュウは慌てて、待って、と言った。
 ひとりぼっちで置き去りにされることが怖かった。
「ま、待って……ねえ、待ってよお!」
 だがどんどん歩いていく……壁にいくつも空いている穴のひとつ、一番大きな空洞。
 風がびゅうびゅうと吹いてきて、奥の方でごうごうと恐ろしい音がしている。
「ま、待って……お、置いてかないで、ねえ、お、お兄ちゃん……」
 リュウは涙をいっぱいに溜めた目をぎゅっと瞑った。
 ぽろぽろと涙が零れた。
「う、うー……!」
 ぐしゅぐしゅと泣き出してしまうと、その竜はやっと振り向いてくれた。
「……痛むか」
「うー……」
 リュウは何度も何度も頷いて、へたり込んだまま両手を差し出して、ねえ、とお願いした。
「おんぶして」






 はじめは怖そうな竜だと思ったが、どうやらいい竜らしい。
 リュウは上機嫌で、満面の笑顔でもって、言った。
「ありがとう、竜のお兄ちゃん!」
「…………」
 彼はこくっとひとつ頷いた。なんにも言わなかった。
 どうやら無口な竜らしい。
 そして、彼は割合力持ちのようだった。
 リュウを背負ってくれて、重そうな顔ひとつしない。
 抱えられた足をふらふら揺らしながら、リュウは彼の背中に貼り付いて、ねえ、と聞いた。
「ねえ、おなまえは? なんて呼べばいい?」
「……私は、エリュオン。始源の唯人たる――――
「えー、えるー、……ルー?」
「……呼びにくければ、呼ばなくて良い」
「うー」
 リュウはちょっと頭がこんがらがってしまった。
 なんて難しい名前なのだろう!
 これは自分と良い勝負だ。
「あのね、おれは、る、ルー……リュ? ええと、はっせんなんとか……」
「リュウ。知っている」
「あ、それ! ……でもなんで知ってるの?」
「おまえは私の、古き友人だからだ」
「ゆうじん?」
「……トモダチ、だ。リュウ」
「ともだち!」
 にこおっと笑って、リュウは足をじたばたさせた。
「……暴れるな」
「えへへ、おれ、はじめてのトモダチだ! えるー兄ちゃん!」
「……チェトレは……ボッシュがいたろう。おまえの側には」
「ボッシュ? ボッシュはねえ、違うよ、トモダチじゃないよ」
 リュウはちょっと得意な顔をして、彼に教えてあげた。
「おれはボッシュのおよめさんなんだから、トモダチとは違うの」
「…………」
「えるー?」
 なんでか、その竜は黙り込んでしまって、リュウは不思議で首を傾げながら、彼の角をつんつんと引っ張った。
「どうしたの? おなかいたい?」
 彼は少しばかり苦笑めいた顔をした――――なんでかわからなかったが、さっきからずうっと無表情だったので、なんだかリュウはほっとしてしまった。
 そんな顔もできるのだ。
 竜はちょっと困ったように言った。
「……なるほど。血に連なるものが他人のものになるとは、このように複雑なものなのだな、デモネド、ヴェクサシオン……」
「……? ねえねえ、「ちにつらなる」ってなに?」
「おまえのことだよ、リュウ」
「なにそれ? あだな?」
「……なんでもない。忘れてくれ」
「……? へんなの」
 わけがわからなくて、リュウはぷうっと膨れた。
 この竜はちょっと言うことが難しすぎる。
 きっと頭が良いんだろうな、と思った。







 それに気がついたのはリュウだった。
 後ろのほうで、たまにちかちかとうっすらした光が瞬いて――――燐虫にしては割合大きい、リュウの頭くらいの光。
「ねえあれ、なにかなあ? 燐虫?」
「害あるものではないだろう……放っておけ」
 燐虫なら知っている。とても綺麗な、光を放つ虫だ。
 ボッシュが教えてくれた。
 でもこんなに大きなものは見たことがない。
 せいぜいが小指の先ほどの、ちいさな虫なのだ。
「ほんとに? なんにもしない?」
「多分……」
「あ、ねえ、お、お、おばけじゃ、ないよね?」
「…………」
「おばけ、やだ、こわい……」
「…………」
「うー、あれ? どしたの、えるー? えるーもおばけこわい? ふふ、いっしょだ」
「……おまえの言っていることは、不思議だな、リュウ……」
「ん? そうかなあ……どのへんがフシギなんだろ?」
 頭の中を疑問符でいっぱいにして、ねえなにがフシギ、と聞きながら、リュウは彼の角をつんつんと突付いた。
「ヘンなこと言ってる、おれ?」
「……ああ……」
「うーん……」
 何がおかしかったのかをうんうんと唸って考えているうちに、光は急にぱっと大きくなって、リュウたちに近付いてきた。
「わ、き、きたよ、えるー!」
 リュウは怖くなって、竜の頭にぎゅうっとしがみ付いた。
 だが彼は気にしたふうでもなく、歩く速度を早めも緩めもしない。
 じきに追い付かれて、そのひかりはくるくるとリュウの周りを回り、やがてぽんと弾けた。







「よう!」







「よ、よう!」
 挨拶された。
 だから返した。
 が、リュウは相手の正体を見て、なんだかちょっと怖くなった。
 それはヒトに良く似ていて、でも虫みたいな羽根が生えていて、良くわからない。
 なんだろうこれは?
「リュウよう! ひさしぶりよう! こんなところにいたよう、探したよう」
「へ? あの、あれ?」
 また相手はリュウのことを知っているようだった……リュウはとりあえず、一番大事なことを確認しておいた。
「あ、あのね、刺さない? おれのこと食べない?」
「えっ? リュウ、美味しいの?」
「お、美味しくないよー!!」
「じゃあ食べないよう。妖精さんはグルメなのよう」
「う、うー……」
 なんだかちょっと、安心できない……もしリュウが美味しかったらどうしよう、と不安になった。
 だが彼女(それは女の子だった)は気にしたふうでもなく、リュウの胸元にごそごそと潜り込んで、はああ、とすごく心地良さそうな溜息を吐いた。
「やっぱりリュウのおっぱいは絶品よう……いいソファよう。グミに勝るとも劣らずよう」
「うー……?」
 リュウは困ってしまって、縋るように竜を見た。
「え、えるー? なに?」
「……私も知らない」
 ふるふると首を振った。どうやら彼にも知らないことはあるらしい。
 胸元からくつろぎきった吐息が聞こえて、くすぐったかった。
 まあ、怖い生き物じゃあ、なさそうだ。








 少しずつごうごうという音が大きくなっていく。
 リュウは怯えて縮こまったが、竜は気にしたふうでもなく、もうすぐ外界が近い、と言った。
「そと? 出られるの? ボッシュにまた会える?」
「ああ……」
「よ、よかったああ……」
 リュウはほっとしてしまって、ちょっとじわっと泣けてきた。
「…………」
 彼は何も言わなかった。








 やがて大きな空洞の終着点が訪れた。
 苔だらけの壁、大きく開かれた口、その先には夜空が見えた。
 今夜も星がすごく綺麗に出ている。
「わー! ほんとに出ちゃった! えるーはものしりだね!」
「…………?」
「おれ、ぜったいまいごになっちゃうもん。ぐるぐるしてるよ」
「妖精さんは迷子じゃないよう!」
「…………」
 夜の森は今夜もいろんな音で溢れていた。
 虫の声、鳥の寝言、ディクの遠吠え……いろんなものだ。
「ねえ、ボッシュ、どこかなあ?」
「……地上にさえ出れば、チェトレが共鳴するだろう。じきに現れる」
「迎えに来てくれるかなあ? ……おれのこと、さっきみたいに、きらいになったりしてないかなあ……?」
「…………」
「あ、ね、えるーはどこからきたの? おうち、かえるの? 竜はまだ、いっぱいいるの?」
 リュウはふと思い付いたことをいっぱい質問したが、竜は「それは難しいことだ」と言うだけで、答えてくれなかった。
 リュウの言うことは、難しい、らしい。













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