目が覚めると、リュウがいない……それはボッシュにとって慣れた事象だった。
 眠り込んだら目を覚まさない、朝は寝起きが辛くていつまでも寝床の中でシーツを頭から被って、起床をシャットアウトしている……そんな姿を見兼ねたリュウは、何を思ったか食堂から朝食をテイクアウトしてきやがったのだ。
 レンジャールームに二人分の朝食を持ち込んで、起きてよごはんだよ食べなよ冷めちゃうよ――――確かにスープのいい匂いなんかが鼻先をくすぐると、自然目は覚めた――――それがたとえ配給食の味気もそっけもない、ハオチーなんて安価な食材で作られたスープであったとしても。
 朝は腹は減らないんだよと言うとリュウはこともあろうに、ボッシュに向かって知ったふうな顔で「ダメだよ」なんて言いやがった。
「朝食は一日の基本でしょ? 今日もがんばるぞ!ってさ、朝ごはん食べなきゃがんばれないよ」
 スープだけでも飲みなよと言いながら、瀕死まがいの寝起きのボッシュがベッドから這い出してくると、リュウはにっこりとあのバカみたいに頭の悪そうな微笑みを見せ、言うのだ。
 プラスチックのパックに入ったスープをスプーンで掬って、鳥に餌でもやるみたいな調子で、ほら、はい、あーん。
「はい、口開けてよ」
 元より朝食は取らないほうだったが、その辺りになるとボッシュももう観念して、起き抜けの胃袋に温かいスープを注ぎ込む羽目になるのだった。
 リュウは笑った。
「ボッシュ、子供みたいだ」
 ボッシュは寝起きの思いきり不機嫌な顔をさらに歪め、うるせえよ、と言った。
 だがリュウは慣れたことなのでまだ笑っている。
「あはは、なんだか新婚さんみたい、こういうの」
 くすくす笑いながら、それがとてもおかしいことのようにリュウは言った。
 ボッシュは笑えなかった。
「どうしたの、ボッシュ?」
 その理由は、言えない。
 言える訳がない。
 彼がもし女の子で、ルーという名前の心優しい少女で、そしていつまでも下層の偽の空の下でボッシュを待っている子だったなら、「みたい」なんていらなかったのだ。
 だが今となってはどうでも良いことだった。
「今日もきっと、迷惑、掛けるから……おれこのくらいしかできないけど、ごめんね……」
 ふにゃっと頼りなく笑って、リュウはまたスープを掬って、言った。
 はいボッシュ、あーん。
 こういうのも悪くはないなんて、我ながら酔狂なことだとその時ボッシュは思っただろう。
 リュウは男で、ローディで、ドジでどんくさくて能なしで――――
「今日も一日、がんばろう。よろしく、ボッシュ!」
 でも、可愛い。
 思えばリュウの価値は、男だとか女だとか、ローディだとかエリートだとか、そんなものではなかった。
 なんでもなかった。
 ただ手を繋いでやれば良かった。
 ボッシュは彼をローディと蔑んでいた。
 守られるべき弱っちく小さなリュウ、背中で庇えば彼は無心の信頼と尊敬を向けた。
 そうしている間、ボッシュはリュウのヒーローたっだ。
 彼はすごいねボッシュ、と言って笑った。
 そしてそれはボッシュにとって当たり前のことだった。







 いつしかリュウに手を引かれて歩いていたなんて、馬鹿な話だ。






「……っ、リュウ……?」
 久方ぶりに昔の夢を見た。
 目を開くと、うっすらと黒い天井が見える。
 つい今しがたまで瞼の裏に見ていたリュウの微笑みが浮かんで、ボッシュはなんとなく苦い気分になった。
(ほんとに無理だよ、オマエみたいに優しくなんてさ。大体柄じゃないし、苛めてやる方が性に合ってるんだ)
 リュウに言い訳するようなことを考えていることに、ボッシュは苦笑した。
(……オマエ、笑うか? このボッシュがらしくないなんてさ。……しょーが、ねーだろ、好きなんだからさあ……)
 まだ眠りの余韻に、夢の中のいつものリュウの感触に浸りながら、顔を手で覆った。
(……どうしてもひどいことしかしてやれねえんだよ。どうしたもんだか……)
 顔を上げるとリュウの――――今そばにいるリュウの姿がなかった。
「リュウ……?」
 半身を起こしてシェルター内部を探したが、リュウはどこにもいなかった。
 あまりひどいことばかりしてやったから、逃げ出してしまったろうか?
 







◇◆◇◆◇







「……っくしゅん! ……ううー……」
 がたがた震える肩を抱いて、リュウは緩く頭を巡らせた。
 雨が降ってきて、冷たい水が身体を打った。
 シャツがびしょ濡れで貼り付いてしまって、気持ちが悪い。
「さ、さむいなあ……うー」
 こほこほとリュウは咳込んで、空を見上げた。
 まだ昼間なのに真っ暗になって、大きな雨粒がばらばらと無数に零れてきている。
 でも、おかげでディクの姿は見えなかった。
 今頃は、雨が止むまで巣穴でじっとしているのかもしれない。
「カミナリ、鳴らなきゃいいけどなー……」
 少し遠くまで来てしまった――――だが道は覚えているし、大丈夫だ。
 もう少し歩けばボッシュの寝ているシェルターまで、辿り付くことができるはずだ。
 胸に真っ青な果実をいっぱいに抱いて、濡れてしまわないように気をつけながら、リュウはふにゃっと笑顔を作った。
「ボッシュ……仲直り、してくれるかなあ……へへ」
 これだけいっぱいあれば、ボッシュだってきっと赦してくれるに違いない。
 この間はリュウが、ボッシュを怒らないで赦してあげたのだし、おあいこというやつだ。
「へへへ……よろこんで、くれるといいなあ……」
 雨が降って木の枝から落ちてしまう前にボッシュの好きな青い実を見付けることができて、リュウはにこにこ微笑みながら、ふらふらと歩いていた。
 ――――ふらふらするのだ。なんでだろう?
「……くしゅん!」
 またくしゃみが出た。けほこほと咳、少し苦しい。
「……あれ?」
 歩いても歩いても先へ進まない。
 もうすぐそこにボッシュのシェルターがあるはずなのに、一向にリュウの足は重くて、近付かないのだ。
 息が上がってしまって、呼吸が苦しい。
 そんなに歩いたろうか?
「あれ?」
 リュウは首を傾げた。
 なんでこんなに、顔が熱いのだろう?
 頭がきりきりするのだろう?
 疑問に思って、ふとリュウは変なことに気がついた。
「あれ……?」
 なんで目の前に、びしょ濡れの木の根っこや、水溜りがあるのだろう?
 倒れたのだ、ということにリュウは気付かないまま、ただ雨が冷たく、そうして無言のままリュウの身体を冷やした。












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