――――リュウッ!!」
 ボッシュの声が聞こえる。
 リュウは目を開けた。
「……あ……ぼ、しゅ?」
 舌がうまく回らない。
 頭が、痛い。
 だけどリュウは、にっこりした。
 ボッシュはとても心配そうな顔をして、リュウを覗き込んできていた。
 雨は強くて、リュウとボッシュを打っていた。
 冷たい雨だ。二人共びしょ濡れになってしまっている。
「……オマエ……どこにも行くなって、言ったろ。なんで、こんな……」
 少し声が湿っている。
 ボッシュはそんなに心配だったろうか?
 怒ってやしなかったろうか。寂しいのだろうか?
「……ぼしゅ……これ……」
 リュウは、倒れてなお大事に抱えていた果実をおずおずとボッシュに差し出し、はにかんで笑った。
「ごはんだよ……おれ、とって、きた。ぼ、しゅ、すき、でしょ?」
 ボッシュは驚いて目を見開いて、緩く首を振った――――好きじゃなかったろうか?
 リュウはちょっと不安になったが、ボッシュははっとして目を眇めて、すきだよ、と言ってくれた。
 嬉しくて、リュウはまたにっこりして微笑んだ。
「おいしいの……うれしい、でしょ? 仲直りできるかなって……思って。また、すきに……」
「……馬鹿か! 俺はオマエが好きだ! 嫌いになんか、なるわけ……ないだろ、マジで、バカ……」
 ボッシュはすごく痛そうに顔を歪めて、そう言った。
「バカリュウ……」
「……ごめんね、ぼしゅ?」
 リュウは困ってしまった。
 ボッシュがあんまり辛そうな顔をしているからだ。
 リュウはどんなにひどいことをしたろう。
 なんでボッシュはこんな顔をするのだろう。
「ごめん、なかなおり、して……て、つないで……」
 急に何も見えなくなった。








◆◇◆◇◆







 姿を消したリュウはすぐに見つかった。
 シェルターのほど近くの古木の根っこに引っ掛かるようにして、倒れていたのだ。
 良くディクに襲われなかったものだ。
 ボッシュを見てにっこり微笑んだリュウは再び意識を失い、浅い呼吸を繰り返していた。
 抱き上げてやると、その身体は熱かった。
 ひどい熱だ。
「リュウ……!」
 すぐさまコートで包んでやって、雨の届かない木の洞に移動した。
 リュウは赤い顔をして、時折厭な咳をした。
 顔は苦しそうに歪んでいる。
 どこへ行ったのかと思えば、ボッシュはリュウの手に大事に握られていた果実を見遣った。
 ボッシュを喜ばせようとしたらしい。
 ひどいことばかりしてやったのに、リュウは全て自分の非であると思い込んでいるようだった……彼は昔からそうだった。
 誰も悪くない、悪いのは自分一人なんだというふうな。
「……う……さむいよお、ぼしゅ……」
 リュウは震えながらボッシュに縋りついてきた。
 どうやら目が覚めたらしい――――断続的に、目覚めと昏倒が繰り返している感じ。
 だが、熱で上手くものを考えられないようだった。
 リュウを抱き締めて、その身体の熱さにボッシュは愕然とした。
 診る医者はここにはいない。
 リュウは依然苦しそうな咳ばかりしている。
 怪我なら診てやれる。もう慣れていた。
 だが病に関しては自信がない。 地上のウィルスにやられたのかもしれない。
 薬もなく、あったとしてリュウにどこまで効果的なものだか知れたものではない。
 竜は万能ではない。
 病に伏せ、そのまま死に至ることもあるのだ。
(……死ぬ?)
 それはボッシュにざわざわした黒い不安をもたらした。
 馴染んだ感触だった。
 ボッシュの腕の中で、リュウは何度も死に、生き、そしてまた死ぬのだ。
 ぎゅっと強くリュウを抱いてやると、彼はとても辛そうだというのに、少し安堵したようにボッシュの胸に頭を摺り付けた。
 いつもそうだった。
 ボッシュと手を繋いだまま死ねるのなら、それは極上の幸福だというふうに。
「……嫌だ」
 ボッシュはリュウを掻き抱き、怒鳴った。
「俺はもう、嫌だからな! ……オマエが、死ぬのを……死体なんてさ、見たくもねえよ……」
 リュウに羽織らせたコートのポケットを弄ると、そこには小さく硬い感触があった。
 球状で鈍く輝いている。
 雨に濡れ、滴る雫に溶け出し、舌先で確めるように舐めると甘い味がした。
 口に放り込み、噛み砕いて、リュウに口付けた。
 甘い味に、少しリュウのきつく寄せられた眉が緩んだ。
 不本意だが、彼を救えるものと言えば、このくらいしか思い付かなかったのだ。
 
 






◆◇◆◇◆







「はいはい、明日もきりきり働くようー」
「……なんで俺が……メンバーなのに……つるはし持って穴を掘ってるんだ?」
「いい機会じゃないか。健康的な運動でもしてれば鬱々した煩悩も吹き飛ぶさ」
 共同体の酒場である。
 人手が足りず店員として店を切り盛りしているのは、リンだ。
 カウンターにべったりと伏したジェズイットには疲労の色が濃い――――おおかた昼間思いきりこき使われたのだろうとリンは見当をつけた。
「へタレよう。リュウは全然平気だったよう」
「ドラゴンと一緒にせんでくれ……あーあ、こんな肉体労働なんかレンジャー時代以来だぜ……」
「へえ、初耳だね。痴漢のあんたが良くレンジャークビにならなかったね」
「……なあリン、思うんだがさ、おまえさん俺のことを変態かエロ魔人みたいに思ってないか?」
「違うとは言わせないよ、この痴漢者。……どうでもいいけどクラベル、胸に潜り込むのはやめな。くすぐったいよ」
「うー、リュウは全然オッケイだったよう! ていうか、リンはおっきすぎるよう……挟まって苦しいよう……」
「……失礼だね。私だってでかくなりたくてでかい訳じゃないさ」
「くそう……俺もミニサイズで愛らしい妖精さんだったら、リンのあんな爆尻やリュウのこんな美尻もお咎めなしで触り放題だったってのに!」
「……一回死んどく?」
「遠慮しとく」
 じゃっとラキエータを構えるリンに、ジェズイットはぶるぶると首を振って、彼女の暴力的な申し出を辞退した。
「なあリン、おまえさんさあ、もーちょっとこう、いきなりランチャー人に向けたりするようだとさ、いつまで経っても嫁の貰い手とかないぞ」
「う、うるさいね! ほっときな!」
 リンは顔を赤くして、怒鳴った。
「大体なんだい、人に過剰な結婚願望があるみたいなことを……」
「うーん、俺は知ってるぞ。最近街で願いが叶うって評判の仔ナゲットのぬいぐるみが、ベッドに」
「な、なんであんたそんなこと知ってんだい! 今度は家捜し屋でも開業したのかい?!」
「あれはなにかなー。うーん、見た感じ赤色は確か結婚成……」
「ご、誤解すんじゃないよ! あれは……ほら、リュウにやろうと思ったんだ、リュウに!」
「へー。オネエサンハオヤサシイデスネー」
「く……なんか、ムカつく……!」
 俯いてぶるぶると震えだしたリンに、ちょっとまずいかな、と口を噤んで、ジェズイットは話題を変えた。
 あまり突っ込むと、もれなく着弾する。
「そういえばリュウ、どうだろうなあ? あの代行来ると思うか?」
「……どうだかね。ガキなんだよ、ようするに。玩具は一人占めしたいのさ」
「なあ、代行さ、あのリュウに手、出してると思うか?」
「……変なこと言い出すんじゃないよ。いくら代行でも、今のリュウに何かしたら本気でケダモノだろ」
「いやいや、俺はしてる方に掛けるな。リンの可愛いお尻にでもさ。絶対我慢効かないって、代行。なにせリュウちゃん、かあわいいしさあー。なあ、俺今まで掛けに負けたことないんだけどなあ」
「……勝手に人の尻に掛けんじゃないよ、もう」
 リンは肩を竦めて、下世話だね、と言った。
 ふいに、ばたん、と乱暴に扉が開く音がして、妖精が一匹飛び込んできた。
 彼女はひどく慌てていて、くるくると忙しなく飛び回っている。
 リンの胸の上に乗っかっているクラベルが飛んでいき、どうしたのよう、と声を掛けた。
「た、た、たいへんよう! なんかすっごい怖いのが来るよう!」
「こわいの?」
 リンは目を眇めて、鋭く訊いた。
「ディクかい?」
「もっと、もーっと怖いよう! 一睨みで妖精さんを殺せる顔をしてるよう!」
「ふーん……ま、行くよ、ジェズイット」
「オイオイ、マジかよ……つか、ものすごくダルイんだけど」
 面倒そうにやれやれと頭を振るジェズイットの返事を待たず、リンはバムバルディを腰のホルスターに下げ、表に出た。








「あいつよう! あいつよう!」
 妖精さんはリンの周りをくるくる回り、こわいよう、とがたがた震えている。
 リンは銃器を構え掛け、そして唖然とした。
 まさか彼がここに来ることになるなんて、どんな気まぐれを起こしたとしても、予想外だったからだ。
 もっとも、帰ってきてもらわなければ困るのだが。
「……代行?!」
 そう、それはボッシュ=1/4だった。
 何故かびしょ濡れで、ベルトが剥き出しになっているアンダー姿だ。
 何やらコートで包んでいるものは、見なくてもわかった。リュウだ。
――――リュウっ?!」
 リンは駆け出した。
 ボッシュは忌々しくきつい目をしていたが、それはどこか居心地が悪い故のものにも見えた。
「……ひどい熱だ。さっきからどんどん熱くなってく」
「ちょ……こっちにきな! リュウも、あんたもだ、代行――――このまんまびしょ濡れじゃ、あんたまで熱を出すよ」
 リンは慌ててリュウを抱いたボッシュを引っ張って、屋内に連れて入った。










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