気まずい沈黙がずうっと続いている。どうしたもんかね、とリンは考えた。
リュウはひどい熱を出している。ひどく苦しそうで、呼吸が荒い。
「……どきな。タオル、替えなきゃならないから」
「俺がやる。すっこんでろ」
そして、これだ。
リンは肩を竦めて、じゃあ好きにすりゃいいけど、と言った。
「でも、あんたも休んだほうがいい。身体も冷えきってる――――いまに熱を出すよ」
「そんなやわな造りはしてないさ」
「リュウだって丈夫だけが取り柄な子じゃないか。はいはい、あんた、病人の面倒なんて見るの、慣れてないだろ。なんたってぼっちゃんだ」
無理矢理ボッシュを押しのけて、リンはリュウの額に触った。
やはり、熱い。
「……雨が止むまでの辛抱だ。そうすりゃ街に戻れるから、メディカルセンターで薬も貰える」
「…………」
リンは是が非でも彼らを連れ戻しにきたはずなのだが、なんだか後ろめたい気分になっていた。
このボッシュという人間が、ことリュウに関しては尋常じゃない執着を見せるのは知っていたが、それはこんなふうな種類の、愛着と言っても良いようなものだったろうか?
リュウがこれだけ衰弱してしまったせいで、ひどくへこんでしまっている。
なんだか奇妙な気分だった。
悪いことしちゃったかなと思い、だが連れ戻さなきゃならないんだった、と思い直した。
どちらにしても、今はそんな場合ではない。そんなことは後でいいのだ。
「……心配いらないよ。その子はほんとに、丈夫なのが取り柄なんだから……あんただって知ってるだろ?」
少し気遣わしく、リンはボッシュを見た。
しばらく見ないうちにその男は、以前の皮肉げな、人を見下すような、あのあからさまな悪意が大分削ぎ落とされていた。
いい顔になったじゃないかとは思ったが、言わないでおいた。
まだまだただの子供だ。
リュウをお気に入りの玩具か何かみたいに思っているに違いない。
「……よお。リュウは?」
扉が開いて、ジェズイットが顔を出した。
彼は眠っているリュウを見て、声を潜め、ほらよ、と小さなケースを放った。
「万能薬だ。もっとも畜産屋からちょろまかしてきたやつだから、効果の方は知れたもんじゃないが、なんにもないよりはましだろ」
「……毒じゃないだろうな?」
疑い深いふうにボッシュが睨んで、ジェズイットはまさかと肩を竦めた。
ボッシュはしばしケースに入った錠剤を観察していたが、やがてゆっくりとリュウを抱き起こし、顔を近付けた。
「……リュウ? 起きてるか?」
「……う……うー……」
火照った顔で、呼吸ひとつでも辛そうだったが、リュウはうっすら目を開け、にっこり笑いながら微かに頷いた。
ほんとに、健気な子だ。リンは思う。
リュウは昔からそうだった。
誰かの為に、無理をして笑う子だった。
そして、今目の前で笑うリュウのその笑顔には、確かに幸福と安堵があった――――無条件で守られていることを信じ、信頼している、子供のようなもの。
「薬。飲めるか?」
「あ……う……」
こくっとリュウが頷いた。
ボッシュはリュウの口を少し開け、おずおずと目を閉じた彼の口内に、錠剤を押し込んだ。
リュウはしばらくじっとしたままだったが、やがて身体を大きく折り曲げ、げほげほと激しく咳込んだ。
「……! にが……!」
そして、薬を吐き出してしまった。
(あちゃー……)
リンは頭を抑えた。
短気なボッシュはまた舌打ちでもして、飲まねえなら知らねえぞなんて言ってそっぽを向くんじゃないか、そしてリュウはまた泣くんじゃないかと危惧したのだ。
だが驚いたことに、ボッシュは辛抱強くリュウの顔を静かに覗き込み、気遣わしげに、苦い?なんて訊いた。
リュウが顔を顰めて、緩く頷いた。
「お、おいしくない……」
「飲まなきゃ治らねーぞ。辛いだろ」
「う……あついい……」
「飲む? いい子だろ」
「うー……いいこ、してる……」
リュウが、すごく気が進まなさそうに頷いた。
「……リュウ」
そうしていると、ボッシュがわけのわからない行動に出た。
薬の錠剤を口に入れ、噛み砕き――――あろうことか、リュウに、口付けたのだ。
「……?!」
「……うわー……」
リュウの眉がきゅうっと寄せられて、なにごとか懇願するように、ゆらゆら頭が揺れた。
「……んっ」
苦い、と言っているのだろう、顔を見ればそれは解る。
彼の喉が小さく動いて――――口移しで与えられた薬を飲み下したのだ――――ボッシュはようやっと、リュウを解放した。
リュウの頭を撫でて、少し笑った。
「……いい子だ」
「えへへ……」
リュウの方もただ自然に、餌を与えられる雛鳥のように、当たり前のようにボッシュを受け入れていた。
何をするんだとか恥ずかしいとかそう言った困惑もなにもなく、にっこりと少し嬉しそうに笑って、そしてもう寝なと頭を撫でられ、寝かし付けられて、ほどなく静かになった。
そうなってから、ボッシュはやっといつもの不機嫌そうな仏頂面に戻り、振り返ってリンを睨んだ。
「……見せもんじゃない」
「あ、ああ。悪いね、ええと」
リンは混乱してしまっていたが、ボッシュの顔が僅かに赤くなっているのを見て、むしろ、なんとなく微笑ましい気分になった。
本当に、このリュウの前では可愛らしいことだ。
「……尻尾」
「あ」
ただ本当に驚いたのは確かで、感情を隠すのが下手な尻尾はぶわっと毛が逆立ってしまっていた。
ごまかすようにぱたぱたと揺らしてみた。
「なあリン。賭け、俺の勝ちだったろ」
頭の上からジェズイットの声が勝ち誇ったように響いて、リンはしょうがなく頷いた。
「……そうみたいだね」
「ちくしょー、俺もどさくさに紛れてまたやっとけば良かった……」
「……また?」
「いや、言葉のあやって奴だよ、うん」
誤魔化すように言うのが気になったが、まあボッシュがあからさまな殺気を放っている。
妙な手出しもないだろう。
ふと屋根を叩く音がなくなっていることに気がついて、リンは腰を上げ、窓を開けた。
空は見えない。
じめっとした霧が浮かんでいたが、もう大粒の雨水は、空から落ちてはこなかった。
「雨、止んだね」
冷えた空気に晒されて、リュウが縮こまって寒そうに身じろぎをしたので、リンは慌てて窓を閉めた。
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