「そんなに焦って食わなくたって誰も盗りやしないよ」
「うー……う、うう」
「……食いながら喋るな。ああ、きったねえな。ぼろぼろ零すんじゃねえ」
いつものボッシュが目の前にいる。
でも今リュウがいるのは、いつもの場所なんかじゃあなかった。
まずヒトがいっぱいだ。
みんな優しそうなヒトばかりだったけれど、怖いヒトもいた。
リュウにチュウシャというらしい尖った針を突き刺すヒトや、あとはただ単純に顔が怖いヒト。
ほんとにたくさんだ。眩暈がしそうだ。
リュウは今、ヒトの街に来ていた。
街には名前があったが、難しい言葉なので忘れてしまった――――確かリュウやボッシュやえるーに似た名前だったように思う。
まだ慣れないが食事はとても美味しい。
今このニーナという優しい女のヒトが持ってきてくれたクリームパイというものも、甘くてとても美味しかった。
ぼろぼろ崩れてちょっと食べにくいけど。
「……リュウ、フォーク使ったら? 手で食べるのお行儀悪いって、リンに怒られるよ」
「ほーく? なに、それ?」
「野生児に無理言うな、チビ。ったく、しょーがない……リュウ、口開け」
「あー……」
ボッシュが、先っぽがみっつに分かれた不思議な道具でパイを突き刺して、リュウに食べさせてくれた。
これが「ほーく」だろうか?
だとしたらとても便利だと思う。考えたヒトは偉い。
「美味しいか?」
「おいしい……ふふ、ありがとう、ニーナ……」
「食わせてやった俺に礼はなしかよ」
「あ、ありがと、ボッシュ……あれ? でもいつもは、く」
口で食べさせてくれるのにと言おうとして、口を塞がれた。
ニーナがきょとんとして、どうしたの、と言っている。
何か変なことだったのだろうかとボッシュの顔を見上げると、目配せされた。
ああこれは言っちゃ駄目なんだ、とリュウは理解した。
どうやら一番好きな人とすることは、内緒にしておかなければならないことがあるらしいのだ。
ヒトに言うと、そんなに大事なものじゃなくなってしまうのだ。
良く分からないがリュウは口を閉じて、パイを咀嚼し飲み込むことに専念した。
「リュウ、熱、下がって良かった。甘いもの好きになったのね。前はそうでもなかったのに」
「……? 前から好きだよ……?」
「あ、うん。そっか」
ニーナは困ったようにふにゃっと笑った。
まただ。リュウは訝しく、眉を顰めた。
「前の」とか「昔の」とか、リュウが知らないリュウをみんな知っているのだ。
ボッシュも知っていたし、どういうことなのだろう。
リュウが生まれてくる前から、彼らはリュウを見ていたのだろうか?
へんなの、とは思ったが、わからないことには興味が向かなかった。
覚えてないし。
「ボッシュ? ボッシュは食べないの?」
ふとリュウがボッシュのお皿を見ると、まだ半分以上残っている。
いつもさっさとリュウより早くなんでも食べてしまうボッシュが、珍しい。
ニーナも不思議そうな顔をしていた。
彼女はリュウやボッシュのことを良く知っていて、このヒトの街の中で数少ないリュウを安心させてくれるヒトだった。
リュウにとても優しかったし、この街で良くあるように、どこかボッシュを怖がるヒトとも違っていたから好きだった。
「あれ、珍しいね。美味しくなかった? わたしは美味しかったけど」
「……別に。腹も減ってないし」
「いつもは気持ち悪いくらい食べるのに……」
そう言えばボッシュが食べ物を残すなんてすごく珍しい。
ちょっと心配になって、リュウは上目遣いでボッシュを見た。
「ボッシュ? 大丈夫? おなか痛い?」
「何ともないさ、リュウ。ただ腹が減ってないだけだ」
「うん……」
ボッシュが何ともないと言うならそうなのだろう、リュウは、うん、と力なく頷いて、ふにゃと笑った。
でも、なんだかやっぱりちょっと心配だ。
「俺のやるよ。食え」
「う……いらないの? 美味しいのに……」
「美味かったろ?」
「ん……」
半きれ残ったパイを食べさせてもらって、リュウは首を傾げた。
やっぱり美味しい。ボッシュはどうしたのだろう?
「……ボッシュ? ちょっと顔色悪くない?」
ニーナが心配そうに言ったが、ボッシュは緩く首を振った。
「まあ、おかげで久し振りに何日か徹夜なんてしたし。仕事も片付けたし、一眠りするさ」
「ボッシュ! おれも一緒に寝る……」
「オマエ病み上がりだろ。まだおとなしくしとけよ」
「うー……一人で寝るの、やだ……お化け出たらどうしよう?」
「しょーがねえな……」
大げさに溜息をついたボッシュを見て、ニーナがくすくす笑った。
「なんだか親子みたいよ、リュウとボッシュ」
「……こんなでかいガキを持った覚えはないよ」
「えっ?! ボッシュ、おれの父ちゃんだったの!?」
「違うバカ。妙なことを言い出すな。こいつ何でも信じるんだ」
「そうだよね。ボッシュみたいなお父さん、いらないよねリュウ」
「……てめえな」
ニーナはおかしそうにくすくす笑っていて、リュウはそれを見ているとなんだか自分もおかしくなってきてしまった。
くすくす笑い出すと、ボッシュがすごくぶすっとした顔をして、付き合ってらんない、と言った。
「部屋に戻って寝るよ。リュウ、オマエどうせ起きたばっかりだろ。二時間したら起こしにこい」
「おはよう、するの?」
「そう」
「うん! 寝るよりそっちのがおれ、役に立つね!」
リュウがニコニコしていると、ボッシュは背中を向けて、一度だけ振り返って、じゃあまた後でなと言った。
リュウは手を振った。
ロックされた扉が開いて、その時、リュウは一瞬何が起こったのかわからなかった。
ボッシュが緩く膝をついて、壁に凭れかかったのだ。
「……ボッシュ?」
ととっと彼の元へ訝しげな顔をして駆け寄って、リュウはぎょっとした。
ボッシュは青ざめた顔をしていて、額には脂汗が浮かんでいた。
苦しそうに浅い息をついている。
「ボ、ボッシュ?!」
リュウは慌ててボッシュをぎゅうっと抱き締めて、訊いた。
「大丈夫?! ど、どうしたの?!」
「ボッシュ?!」
ニーナも慌てて駆け寄ってきた。
彼女はほっそりした白い手をボッシュの額に当てて、表情を固くした。
「すごい熱、あるよ……ちょ、ちょ、ちょっと、待っててね! ドクター呼んでくる……リュウ! ボッシュ見てて!」
「う、うん……!」
リュウは慌てて頷いて、ボッシュのほっぺたに恐る恐る触った。
ほんとに熱かった。
なんで気がつかなかったのだろう?
「……なに、泣きそうな顔してるんだ? なんでもないよ、リュウ。ただちょっと、寝不足で立眩みがしただけだ……」
「ボ、ボッシュ……おれっ、ど、どうしよ……う、ううー……」
「……泣くなって、バカ」
小さなリュウはなんにもすることができなかった。
ボッシュは確かに苦しそうなのだ。
でもリュウは何も彼にしてやれない――――もどかしくて、胸がざわざわした。
「ほんとに、へいきだ。なんでもないさ……」
声ばっかりは穏やかなのだ。
ボッシュのやさしい声にリュウはどうしようもなくて泣けてきた。
◇◆◇◆◇
「……見事にうつされましたね……」
「うるせー……」
ピンク色の髪をしたクピトという少年に沈痛な面持ちで見下ろされて、ボッシュが仏頂面で苦しげにうめいた。
「リュウももう心配はないし、ほっとしちゃったんだね。あんた最近無茶し過ぎなんだよ代行。あんなどしゃぶりの中で冷えきって、いくらバカでも風邪だってひくんだ」
「まあ鬼の居ぬ間に、リュウちゃんと街に降りてデートでもしようかなあ」
「ころ……してやる……!」
「あんまりボッシュいじめちゃだめよ、ジェズイット」
「まあ、いい機会だ。ゆっくり休養を取ってくれたまえ。しかし、慌しいな」
病室で5人のヒトがわいわいと物珍しそうにボッシュを見ている。
ベッドの脇で手をぎゅうっと握って、リュウは心配でたまらず、ずっとボッシュのそばにいた。
「ボッシュ……ね、してほしいこと、ある? おれできることある……? あのさ、なんでもするよ。がんばる……」
「……心配いらない、リュウ。泣くなよ」
「う、うー……うん……」
「……そんな顔、するな。治ったら言うこと一個聞いてもらうさ。これでいいだろ」
「うん……」
ボッシュの手のひらにぺたっとほっぺたをくっつけた。熱い。
彼が苦しそうな呼吸をする度に、リュウはぎゅっと胸が締まる思いだった。
「あ、ボッシュ、寝ないとダメだね。おれ、静かにしてるよ……」
リュウはゆるゆると首を揺らして、言った。
「おやすみ、ボッシュ」
面会時間、とかいうのが終ってしまった。
いくらメンバーがたでも駄目です、特例はありません、今日はもう代行さまはお休みになられます――――そう怖い顔をしたおばさん(看護婦長というらしい)に怒られて、全員部屋から追い出されてしまった。
「寝てる間に顔にマジックで落書きでもしてやろうかね」
「……まあ、止めやしないけどね。ジェズイット、それよりあんた、このゴタゴタのどさくさにまぎれて街で痴漢なんてしたら承知しないよ。しばらくおとなしくしてな」
「へーへー」
「下手なことばっかりしてると最後には去勢してやるよ」
「……ああ、その手がありましたね。いい考えです、リン」
「ちょ……オイオイ、それおまえさんが言うと冗談に聞こえんからやめてくれんかなあ……」
「当たり前だろ、冗談じゃないんだから」
「……リュウ君はもういいのか?」
「うん、おじさん……おれ、なおった。きっと、ボッシュに苦しいの、かわりにいっちゃったね……おれのせいだよ」
「リュウのせいじゃないわ! ぜんぜん!」
「そうですよ、リュウ。それにあのくらいの方が静かで良いくらいですよ」
「うー……」
廊下で6人で溜まっていると、上からヒトが奇妙な機械に乗ってやってきた。
どうやらエレベータというらしい。
これに乗ると、高いところにすぐに昇れてしまうすごいものだ。
がっしりとして白い服を着たその男のヒトは、服と同じ真っ白な頭で、眼鏡を掛けたヒトだった。
大分歳を取っているようだ。
リュウたちの前に来るとぺこっと頭を下げた。
「ご無沙汰しております、オリジンさま、メンバーがた」
「う」
知らないヒトに急に話し掛けられたので、リュウはびくっとして、ニーナの後ろにさっと隠れた。
おずおずと顔だけ出して、そのヒトの方を見た。
ニーナもそのヒトも、リュウを見てなんだか苦笑いしている。
「オリジン代行ボッシュ=1/4さまのことで、少しお話が……」
「ボ、ボッシュ! なに、どうしたの?!」
「リュウ、ちょっとだけ、しー、ね?」
「う……」
ニーナにめっとされて、リュウはすごすごと引っ込んだ。
男のヒトは、なんだか自分の子供でも見るみたいな優しい目でリュウを見ていたが、頭を緩く振って、なんだか妙なのです、と言った。
「症状のほうはオリジンさまと同じものでしょう。薬もありますし、すぐに治るものです。が、問題は薬の方なのです」
「じいさん、なにか問題でもあるのか?」
ジェズイットが訊くと、白衣のヒトは訝しげに目を眇め、連絡がつかないのです、と言った。
「……薬品製造プラントに連絡を入れたのですが、何故か繋がりませんでな。先ほど医師に直接取りに行かせたのですが、なかなか帰ってきませんで」
「お、おれ、行く!」
リュウはニーナの影から飛び出して、白衣のヒトを見上げた。
「ボッシュ、薬ないと苦しいよ。おれ、取りに行く……すぐもどってくるから、足、早いし……それに、取ってきたらもっかいボッシュに会えるよね?」
「いや、オリジンさまのお手を、わざわざ煩わせるわけには……」
「行かせてやってください。代行の為に何かしたいんですよ、リュウ」
にっこり笑って、クピトがそう言ってくれた。
白衣のヒトは、そうですか、と頷いて、何やら黒い模様みたいなものが書かれた紙をリュウに差し出した。
「必要な薬の種類です。ここに書かれてあるものを全てお願いします。なに、薬さえあれば、二日と経たず治るものですよ」
「う……」
リュウはちょっと困ってしまった。
厄介なことに、「書かれてある」の意味がまったくわからなかったのだ。
だがニーナがリュウの手元を覗き込んで、だいじょうぶ、リュウ、と言った。
「わたし、わかるよ。だいじょうぶ。いっしょに行ってあげるよ」
「ほ、ほんと? ありがとう、ニーナ……」
リュウはほっと安堵してしまった。
「北部プラント地区のA区画のプラントです。場所はわかりますかな」
「うん、わかるわ」
ニーナはすごく頼りになるヒトだなあとリュウは思った。
何でも知っている。
リュウだけならどうすれば良いのか分からず、迷子になってしまうかもしれない。
「さ、いこっかリュウ」
にっこり笑ってニーナが手を差し伸べてくれたので、リュウは安堵しながら彼女の手を取った。
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