ニーナは正直なところ、複雑な気持ちだった。
 ニーナを守るべき誰よりも強いリュウの手はとても頼りなく、小さく震えていた。
 今や庇護しなければならない存在だった。
 今度はわたしの番だ、と彼女は自分に言い聞かせた。
 リュウはわたしが守るのだと。
 だがリュウはまだ泣いていた。
 彼を守るべきニーナの前にはディクの大きな牙があって、そうすると彼女はやっぱり縋ってしまいそうになるのだった。
(……リュウ……たすけて……)
 あの強いリュウはここには、今やどこにもいやしないのだ。
 彼は泣いているニーナの元へいつもすぐさま駆け付けてくれて、何もかもから、世界からすらも守ってくれる強い人だった。
 ヒーローだった。
 でも彼はいない。
(リュウ……)
 ニーナはぎゅっと目を瞑った。
 ここにきて、彼女は自分が震えていることを自覚した。
 やはり彼のように強くあるなんてことは、ニーナには無理なのだ。
――――リュウ……っ!」
 ぎゅうと目を瞑り、ああこれからわたしは食べられてしまうのかしらと、リュウは泣くかしらと、じゃあボッシュは怒るのかしらと、わたしがいなくなったらリュウはさみしいかなでもボッシュがいるから平気なのかなとぐるぐると思い浮かぶのはそんなものだった。
 ニーナがいなくなったってリュウは寂しくはないだろうか、それはニーナにとってすごく寂しいことだ。
 わたしを見て、ニーナは思った。
 わたしを見付けて。
 でもリュウは、昔のようにニーナばかりを見てくれることはもうないのだ。
 ずうっと空を目指していられれば良かった。
 リュウがニーナだけ見てくれれば良かった。
 手を引いていてくれれば良かった。
 でもあのリュウはもういない。
 ニーナを救ってくれる優しいリュウは、もう世界のどこにもいないのだ。
「リュウ……」
 きっと痛いだろうなと目を閉じたまま、ただなんにもできなかったことが悔しくて、ニーナは泣きそうになった。
 リュウを守ってあげられない。
 ディクはニーナを食べたら、次にきっとリュウを襲うだろう。
 喉を絞められて声が出ない。
 魔法の輝きも消えてしまった。
 次にあるのは、きっと牙が皮膚に食い込む衝撃だけだ。
 きっと痛い。
 ふわっと身体が振り回される感触があって、それから焼け付く火がすぐそこにあるような熱さを感じた。
 ほんの少し、変だな、とニーナは思った。
 バドゥマハネバンは氷の魔物じゃなかったろうか?
 うっすら目を開けて、彼女は見た。
 そこには見たことがないくらい綺麗なひとが立っていて、ニーナを抱いてくれていた。
 ディクの姿はなかった。
 中空にほんの僅かに残った濃いグリーンの鱗片に炎が纏わりついて、灰になって消えていくところだった。
(……え?)
 そこにいたのは、見たことがない人だった。
 宝石みたいな真っ赤な目をしていた。
 銀色の綺麗な髪は肩より少しばかり高いところでくるんと外に向かって跳ねていた。
 頭には二本の真っ赤な角があった。
 丸みを帯びた柔らかい身体には奇妙な模様が浮き出て、固い鱗と炎がその腕と脚を覆っていた。
 背中には翼があった。
 ニーナの肥大した肺であるそれと違い、炎そのものの力強い羽根だ。
 その人はとても落ち付いた眼差しで、ただ少し心配そうにニーナを覗き込んできていた。
 見たことがないひとだった。
 だが、それが誰かということは、ニーナはもう知っていた。
 分かっているのだ。
――――怪我はないかい、ニーナ」
 彼女――――彼、リュウは言った。
 ニーナは驚いて目を丸くして、そしてこういう状況において彼の声を聞いたその時の条件反射のようなもので、じわっと目が潤んできてしまった。
「リュ、リュウ……リュウっ?」
「うん、ニーナ。もう心配ない。大丈夫だ、怖いディクはもういないよ」
 リュウはそう言って、頭を撫でて、にっこりと穏やかに微笑んでくれた。
 彼の身体は少しずつ変化していき、色素の抜け落ちた銀の髪は青みがかって、角も鱗も姿を消し、瞳も穏やかな空の色に変わっていった。
 そこにリュウはいた。
 帰ってきたのだ。
 ニーナは思わずリュウに抱き付いて、わあっと泣き出してしまった。
 リュウはただ静かに心配掛けてごめんねとだけ言って、ニーナの背中を抱いて、頭を撫でてくれた。
 そうしていると背後から炸裂音が響き、リュウがぱっと顔を上げた。
 ニーナも慌てて落っことしてしまっていた杖を拾って、リュウを見上げた。
「リュウ、助けなきゃ……」
「うん」
 リュウは頷き、ふっと手のひらを翳し、そこから零れる赤いひかりはやがて一振りの剣になった。
「行こう、ニーナ」
 駆け出したリュウの背中を、ニーナは追っ掛けた。
 そう、ずっとこうあるべきだったものだ。
 彼の背中は、ニーナの前にあるべきものだ。
 彼がずうっと側にいてくれれば、ニーナを置いてどこかへ行ってしまわなければなんだって良いのだ。
(ごめんね、ボッシュ)
 ニーナはきっと、彼女がリュウのそばにあればものすごく不機嫌な顔をするであろう一人占めしたがりの子供っぽい男の顔を思い浮かべた。
(……ボッシュに邪魔っけにされたってわたし、負けないんだから)
 リュウが誰を好きであろうと、ニーナは彼のそばにいたい。一緒にいたいのだ。
 それは単純な感情ではないだろう。
 恋愛、友愛、親子の、兄弟の情であるかもしれない。何だって構わない。
 硝煙の臭いがする。
 戦いの最中にふっと見せるリュウの凛々しい横顔は、ニーナが見惚れるくらいすごく格好良くて、綺麗だ。
 ナーヴマンの半透明の身体に斬り付けるリュウを援護しながら、ニーナはふとそんなことを思った。















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