「おれほんとは、あのままずうっと空の果てをきみと見に行っても良かったんだ」
 静かに、リュウが言った。
 夜の闇の中で、薄青いひかりが窓から射して、ベッドの上の彼の肌を白く浮かび上がらせていた。
 ボッシュはリュウの髪を撫でた。あのリュウが何も解らない時分に、子供に接するようにそうしてやったふうにだ。
「そうするさ。時間だけは腐るほどあるんだ」
 ボッシュは頷いて、リュウの言葉を肯定し、繋いだ。
「何十年何百年してさ……次のオリジンなんか見つかって、そしたら俺らは隠居して、続きをやりゃあいいよ」
「……うん」
 ちょっとまごついて、それからリュウは微笑んだ。
「あのさ、ボッシュ」
「うん?」
「おれ、まだちゃんと言ってない……あの、ね。おれ、ずっとずっとずううっと、これから1000年、ううん、それよりもっと、きみのこと、好きだよ」
 リュウははにかむようにして、俯いて、緩く頭をボッシュの胸に持たせ掛けた。
 リュウは覚えているのだろうか?
 彼の心臓の音が聞こえると、そう言いながらおんなじふうにボッシュがしたことを。
 そうすると安心するよと言ってやったことを。
「だいすき……」
 リュウは目を閉じて、静かに呟いた。
 消え入りそうなくらいに小さな声でこう一言。心臓の音、聞こえる。
 ボッシュは、とんとん、とリュウの背中を叩いてあやしてやった。
 この仕草は、もう癖になってしまったものだった。
 リュウが子供のように泣き出してしまった時には、ボッシュは決まってこうしてやった。
 リュウはそうすると、すぐに泣き止んで、まどろむのだった。
――――リュウ」
 リュウの頬に手のひらを添えて、彼の顔を上げさせた。
 なに、とリュウはボッシュを見上げてきた。
 その目からは以前のあどけなさは薄れていたが、無心の信頼があった。
 まるで世界中のすべてから守られているような、もう手を離されることはないのだと理解して、安堵しているような、そんな。
「リュウ、目、閉じてろ」
「ん……」
「動くな、じっとしてろよ」
「んん」
 ベッド脇のライティングデスクに手を伸ばし、闇の中でボッシュは小さな硬質の感触を探り当て、摘み寄せた。
 リュウの耳を飾る、以前は自分のものであったピアスを外し、代わりに付けてやった。
「……開けていいよ」
「あ……?」
 リュウが目を開いた。
 彼は耳に小さなピアスを見付け、戸惑ったようにボッシュの髪を梳き、掻き上げた。
 そして、そこに同じものを見たはずだ。
「……そーいうこと」
「え……あう、あー……」
 釣り上げられた魚みたいに口をぱくぱくとさせているリュウに、ボッシュはにやっと口の端を上げて笑った。
「ずーっとずーっと一緒にいるんだろ。なら、やっぱこういうことなんじゃない?」
「あの、さ、ぼ、ぼ、しゅ……」
「なんだよ」
 リュウは相変わらずひどく混乱していて、でも徐々にその顔は赤く染まってきている。
 どうやら、気付いたようだ――――リュウはバカなので、イチから説明してやらなきゃならないかと危惧したのだが、どうやらそれは杞憂に終わったらしい。
「そ、そ、それ、も、もしかして、け、け……」
「結婚、だね。偉いねリュウ。知ってたんだ」
 わざと意地悪に、ボッシュはそっけなく言った。
 そんなことどうでもいい、大した事じゃないけど、というふうに。
 しかしそれは確かに大したことであったし、ボッシュなりにそう、重大な決心を伴うものであったのだ。
 だがその決心なんてものは、もう5歳の子供の時分に済ませてあったことだった。
 そこだけは、大したことじゃない。
 リュウはボッシュの口からそれを聞いて、暗がりの中でも見て取れるくらい、真っ赤になってしまっていた。
 怒った火星ダコみたいに。
「うー、そ、それくらい、知ってるよ…! ていうかボッシュ、おれのことどこまで馬鹿だと思ってるの?!」
「無限大」
「ひ、ひどいー……」
 しょんぼりと、あるいはげんなりとリュウは肩を落とした。
「で?」
 ボッシュは、殊更なんでもないふうを装って、リュウに訊いた。
 まさか断るなんて選択肢はリュウにはないだろうが、それだって――――わかりきったことだとしても、こういうのは、やりにくいのだ。
「う」
 リュウが、息が詰ったみたいな声を出した。
「返事は」
 そして真っ赤な顔をしたまま、ふるふると震えた。
「……やだ」
「…………」
「意地悪言うボッシュなんかやだ」
「……ゴメンナサイ」
「ふふ、うん、いいよお」
 リュウが、ちょっとばかり呆然としているボッシュに、目の端に涙をくっつけて頷き、笑った。
 綺麗に微笑んだ。
 その顔は可愛くて、どうにかなってしまいそうなものだった――――が、ボッシュとしては腹が立って仕方がない。
「テメエ、いい性格になったじゃないか。この俺をおちょくってんのか?」
 ぎゅうとリュウの頬を抓り上げると、彼は悲鳴を上げた。
「いたっ、いたたた……っ! ち、ちがうよ! 大体ボッシュがひどいこと言うから……そ、それに……ちょっと、恥ずかしくて、どーいう顔をすればいいのか……ぜんぜん……」
 わかんないよと俯いたリュウの耳は真っ赤だ。
 共鳴の心音が、うるさいくらいに、鐘のようにふたつ鳴る。
 そのうちのひとつはボッシュのものだ。
 これは、できれば、リュウに聞こえていなければいいのだが。
 そうしていると、リュウはふっと顔を上げ、まっすぐボッシュを見た。
「あのね、ボッシュ……目、閉じて?」
「……?」
「い、いい? 開けたら、駄目なんだからね……」
 言われるまま目を閉じた――――何だろうか?
 予想はいくつかしてみたが、肩透かしを食らった時に腹が立つので、何も考えずにおく。
 そうしていると唇に柔らかい感触が触れた。
 リュウは、意外にもボッシュよりも体温が低いくせに、唇は温かい。
 真っ赤になって、顔に血が上ってしまっているせいだろうか。良くわからないが。
 ぽおっとなっているボッシュから恥ずかしそうに離れて、リュウはそれらしく姿勢を正して、どぎまぎした様子でぎこちなく、告げた。
「……す……好き……えっと、おれで、よければ、これからまた迷惑掛けると思うけど……多分一生掛けると、思うけど。……そばに、いさせて下さい」
「ヤなんじゃなかったのか?」
 ボッシュがぽつりと呟くと、リュウはまた顔を真っ赤にして怒り出した。
「も、もう! ボッシュは意地悪だ!」
「ハイハイ、ゴメンナサイ、怒るな」
「う、うー……あんまり許せない「ごめんなさい」だよ……」
「ハイハイ、なあ、リュウ」
「ん」
 口でだけは軽薄にリュウを呼びながら、彼をぎゅっと強く、きつく抱き締めて、それから二人でキスをした。
 きっとこれから、ずうっと手を繋いで歩いていくのだ。
 1000年も、その先も、ずうっと、空の果てまで。













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